現在は発掘が終わり埋め戻された状態。
北条氏邸跡(円成寺跡) / / .
鎌倉殿の13人ゆかりの地。
かつて北条の屋敷があった場所。
川(狩野川)を挟んだ対岸は八重がしぶしぶ嫁いだ江間次郎の領地(後に義時が江間小四郎として相続)で、現在も江間という地名は残ってます。
川を挟んで小池栄子(政子)がガッキー(八重)にマウントとるシーンは印象的でした。
この川見るとまだ穏やかだった頃の大河を思い出します。
守山山頂展望台から降りてきて北条氏館跡に出た。
守山八幡宮の石段や本殿から展望台までの登りはきつかったが、降りは楽だった。
館跡の入り口には幾つかの資料が置いてあり自由に持ち帰れる。
見学の資料があるのは嬉しい。
史跡をより深く知れるし、訪問の記念にもなる。
資料によると、北条館として使われた期間は、平安時代末から鎌倉時代前半にかけての100年位(3代泰時の頃)までで、それ以降、北条氏の生活の中心は鎌倉に移っていったとのことである。
その後、1333年、鎌倉幕府が滅亡し、生き残った北条氏一族の女性(14代執権高時の母、「覚海円成(円成尼)」)を中心に円成寺を建立し、円成尼亡き後は、伊豆国守護の山内上杉氏の庇護を受け、14世紀後半から15世紀前半にかけて繁栄したとのことである。
すぐ近くの伊豆中央高校生による絵図の解説付きで、伊東の音無神社の高校生の絵巻と伊豆の史跡に学生達が関わっていて素敵です。
畑や学校グランド以外でこのような広い敷地があるのはここと伝堀越御所ぐらいだと思います。
わたしもここから発掘されたかわらけに場所の番号をふるアルバイトを地元民としてやった事があるので、とても興味深い場所です。
かわらけは宴会などでお酒をつぐ平たい素焼きのお皿です。
とてもたくさんのかわらけが発掘されていました。
黄色いコンテナケースに何十箱もありました。
それに10人ほどの市民が数ヶ月かけて割れたかわらけに小さく番号をふりました。
北条一族所縁の地。
鎌倉執権北条氏の館があったところであり、またその滅亡後は所縁の人々が移り住んだところ。
歴史のロマンを感じる場所です。
いよいよ鎌倉殿が始まり、韮山時代劇場でドラマの展示も開催で、北条氏の史跡という場所、場所は各地域から多くの人が来訪で行く先々で遭うことに。
これにドラマの家作や、造作物に纏まり紹介されれば、水戸や庄内などの時代劇ロケ地ツアーとしてこのエリアの賑わいに繋がるけど!
『鎌倉殿の13人』の舞台となっている北条氏邸跡。
大河ドラマを観ながらだと趣き深い。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を観て訪れました。
要塞のようで、守山と名前の所以かな、などと思いながらゆっくり1時間程の散策。
桜の季節が楽しみです。
広大な北条氏邸がありました。
北条氏滅亡後は、一族を鎮魂するために、円成寺が創建されました。
山の紅葉🍁も綺麗。
広い場所そのまま残っているんですね。
凄いなー。
来年の大河楽しみです。
「おそらくここに邸宅があったであろう」という情報以外には何もない。
笑ただの広場。
発掘作業が終わったのか、今は草っぱらです。
現在は発掘が終わり埋め戻された状態。
ここはこのままにしておいてほしいような気がします。
狩野川沿いの市道からは判り難いのですが、一歩中に入ると広大な敷地が広がっています。
鐮倉時代へ時を超えて、思いを巡らせるのもまた良いかと思いをます。
遺構が見学出来るようになっていない。
解説表示も今ひとつ。
何もないけど過去の北条の歴史に思いをはせる場所。
何もありません。
整備中とのことです。
歴史的に重要な場所であることは間違いないので、反射炉が稼いだお金がこっちに回ってくる事を期待します。
鎌倉幕府で代々執権を務めた北条氏の邸宅跡です。
狩野川さくら公園に隣接した場所にあるので個人的には春に訪れるのがお薦めです。
草原の大部分...ちょっと残念…(原文)一大片草原而已...有點令人失望...
伊豆の国市内を縦断する狩野川右岸、守山に隣接する地域には、史跡願成就院跡、史跡伝堀越御所跡、史跡北条氏邸跡、の国指定3史跡が立地します。
これらの史跡は隣接し、互いに密接に関連することから、市では「守山中世史跡群」と総称しており、平安時代末期から戦国時代に至る中世社会の歴史的変遷を示す、日本中世史の始まりと終わりを告げた地として重要な地区と位置付けられています。
1. 中世における伊豆国の政治・経済・文化の中心地日本史上初めて武士政権の中枢を担った北条氏は、積極的に京都文化を受容。
室町時代には鎌倉府の弱体に伴い堀越御所が開かれ、後に伊勢宗瑞(そうずい)によって滅ぼされ、終焉を迎えます。
中世を通じて伊豆国の中心であると同時に、関東と京都を結ぶ地、日本中世史の起点、転換点の地でもありました。
2. 交通の要衝としての景観狩野川の河川交通、三島国府と奥伊豆を結ぶ下田街道の陸上交通の要衝であり、現在もその景観が残されています。
3.重層的、多面的に構成される歴史情報多くの遺構が時間的、空間的広がりをもって捉えられ、これらが『豆州志稿(ずしゅうしこう)』『吾妻鏡(あずまかがみ)』などの文献資料とも整合します。
さらに、国宝運慶作諸仏に代表されるような現在に伝わる文化財によって、歴史的な価値を時間を越えて直接体感できます。
綺麗に整備されています。
軽いウォーキングには良いかも。
●北条氏の栄枯盛衰鎌倉幕府滅亡後、生き残った女性たちがこの館に戻って余生を過ごしたとの説明が。
この地で時代を司る地位に上り詰め、役割を終えたのちの北条家の人々が棲んだ場所。
今はこれといってなにもないけれども、周囲の静かさがなんともいえない余韻を感じさせてくれた。
鎌倉執権家である北条氏の居館跡。
現在は広大な史跡となっている(入ることはできない)。
挙兵前の源頼朝も当地に住んでいたと伝わり、歴史の転換点になった地でもある。
ちなみに北条早雲(本来は伊勢長氏)も伊豆を支配した後、北条の地に住んだことから北条氏と呼ばれることとなった。
戦国時代の始まりとなった北条早雲が住んだことからも、二重の歴史の転換点の地と言える。
名前 |
北条氏邸跡(円成寺跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/bunka_bunkazai/manabi/bunkazai/kunishite/hojoshi.html |
評価 |
3.5 |
北条の里駐車場に車を停め歩いて来ましたが、近くの狩野川さくら公園や守山西公園に停められます。
ここもまた原っぱですが、その時代に戻って想像してみるのも良いかもしれません。