源頼朝挙兵の地とされています。
願成就院から歩いて1分位で守山八幡宮に着く。
頼朝挙兵の神社で、軍兵数十騎(少ないな~)が集合したらしい。
時代は大分下るが新田義貞が鎌倉北条氏討伐の為に旗揚げした生品神社のような史跡か?頼朝はここから山木館が燃えているのを確認したらしいが、確かに山木館は韮山城の後方に見えそうである。
守山八幡宮は、麓に「舞殿」があり、中腹に「本殿」がある。
本殿の右手後方から山道を登ると守山山頂の展望台に出られると思われる。
鳥居の前で地元の長老(?)に尋ねてみたら、否定もしなかったが勧めてもくれなかった。
道は険しそうであるが、それなりの準備をしてきたのでチャレンジした。
▼願成就寺から住宅地の前を経由して門前の石碑に刻んである文字を読もうと懸命に目を凝らしていると、「文字に墨入れた方が、こりゃいいな」と言って目の前のお住まいの御主人が私に声がけしてくださいました。
▼何が書いてあるかと言えば、この守山八幡宮が建っている辺りに屋敷があり、ここで頼朝は挙兵したそうです。
▼この守山は北条一族の屋敷の棟があちこちにある場所ですし、また頼朝が流人生活を送っていた蛭が島は挙兵対象の山木兼隆の屋敷に近すぎるため、この場所で挙兵の指揮をとることにしたのでしょうね。
▼挙兵成功である印に、山木屋敷に火を放つ煙が出るのを、屋敷裏の守山に駆け上がり、今か今かと頼朝は待ったと御主人は言います。
聞けば、登山道がしっかり整備された北条館跡(円成寺跡)から登らなくても、守山八幡宮の横の獣道の方が楽に早く登れるとのこと。
▼写真のように早速その獣道を登り、守山山頂へ。
途中、倒木があったり、道が切れかかったりと、階段が整備された北条館跡からの登山道とは大違いでしたが、確かに楽ですし、あっという間でした。
▼山頂からの富士山、山木地区方面の眺望はすばらしかったですし、この景色を頼朝も見たのだろうなと、この八幡宮から登ることによって思いを馳せることができました。
運慶仏で有名な願成就院のとなりにある八幡宮で、源頼朝挙兵の地とされています。
史跡としての価値はあっても特に見どころはありません。
石段を見るとのぼらずにいられない方はどうぞ。
石段を見るだけで息切れしそうな方にはむきません。
守山八幡宮 静岡県伊豆の国市 2022/07/06鳥居をくぐると舞殿があり、舞殿の後ろの約150段の急な階段を登り切ると本殿。
今は階段中央に手摺があるので、まだ良いけれど、手摺が無いと結構厳しい。
源頼朝が平家打倒の戦勝祈願をした神社。
この本殿から山道を登って行くと、守山の頂上に出て展望台がある。
頼朝、挙兵祈願。
御祭神は大山祇神。
三島大社と同じ、大山祇神【おおやまつみのかみ】。
延喜式内社であり、延長5年(927年)にまとめられた「延喜式」の巻九・十に名前が載っている。
守山八幡宮は、北条氏所縁の願成就院の裏手、北条郷の中心にある守山の中腹に鎮座しています。
古代、守山八幡宮の建つ北条郷と狩野川の反対側にある江間郷(依馬郷)は、一つの郷で大男山(雄徳山)山頂に総鎮守がありました。
大化3年(647年)『大山祇神』を祭神として創建されたと云われ、延喜7年(907年)に宇佐八幡宮の『八幡神』が合祀され、守山八幡宮と称されるようになったと伝わっています。
ここ北条郷は、源頼朝流刑地であり、また挙兵の地であった事から境内の石碑には【史蹟 源頼朝挙兵之碑】と題した石碑があり【源頼朝治承四年八月十五日守山八幡宮に平家追討を祈願して挙兵 夜陰 源氏重恩ね軍兵数十騎 山木判官平兼隆を襲い討つ 其の間 頼朝遥かに山木館の火煙を望み悲願の達成を悦ぶ 蓋し鎌倉幕府の草健の礎はここに於いて成ると 故に記して健碑の所以とする】と刻まれています。
源頼朝が挙兵し戦勝祈願をして出陣したと言われてる。
石柱の鳥居を抜け社殿に、背後に斜度60度143段、急勾配の階段が所々苔むし奥の院まで誘う、手摺があるので安心感が有ります。
御利益がある雰囲気を感じながら拝観終了しました。
源氏の守護神・八幡神を祀る社。
平家追討を祈願し挙兵した地で、鎌倉幕府草創の礎ともいえる場所。
階段はかなりキツイ。
大きな銀杏が印象的な静謐な神社です。
階段ダッシュしたことあります。
特に見応えのあるところではない。
長い階段は趣あるか?頼朝の旗揚げの地とされている。
現在の社殿は榊原照久(久能山東照宮の祭主で、榊原康政の甥)が立て直したもの。
守山八幡宮もりやまはちまんぐう静岡県伊豆の国市寺家1204−1祭神誉田別命 大山祇神木花開耶姫命。
北条氏邸があったとされる守山の中腹にある神社。
治承4年(1180年)8月15日、源頼朝は平家追悼を祈願してこの地で挙兵。
頼朝はここから山木館方面に火の手が上がるのを眺めたと伝わっています。
源頼朝挙兵の地。
延喜式、式内社の“比定社”旧村社。
この地域の“総社八幡宮”。
守山八幡宮の社号碑から階段を上ると、拝殿?舞殿?があり、その裏手の“そこそこ大変な”階段を登った守山中腹に社殿があります。
田舎の神社だと舐めない方がいいですよ。
階段下から眺める姿は、まあまあ神秘的であり、源頼朝所縁の神社です。
1180年8月15日に、この守山の地から挙兵。
平家追倒を祈願したとされるようです。
この守山は“執権北条家”のふる里です。
頼朝は、守山八幡宮のちょうど反対側の北条館にいたとされます。
“私的な”思いですが、韮山はホントに惜しい🤔ですね。
源頼朝や、北条家所縁の地なのに、ほとんどその歴史的資産を活かせてないと思う。
もっともっと足りないですよ。
守山などは、北条家の始まりと、終わりの地なのにね。
私的には“ロマン”しかないのに!!歴史上のビックネームを揃え、さらに何もしなくても、学校の教科書で宣伝もしてくれるネタなのにね!。
一応、今後は守山地域、掘越公方館跡など整備を予定しているみたいです。
楽しみでしょうがありません。
アクセスは136号線(下田街道)沿いに、願成就院の標識を曲がり、院の少し奥にあります。
大山祇神を祀る式内社石徳高神社へ宇佐八幡を勧請合祀、伊豆総社八幡宮と呼ばれる。
源頼朝が源家再興を祈願、挙兵した神社でもあります。
清々しい神社です。
神社本庁十級社。
旧社格は村社。
式内社石徳高神社に比定される。
なお、石徳高神社は依馬郷の鎮守とされていたが、狩野川が流路を変え、依馬郷を二分したため、現守山八幡宮と現豆塚神社に分詞されたと伝わる。
背後に控える守山を境内とし社域は八千坪を超える。
流造の本殿の他、舞殿を有する。
名前 |
守山八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
054-261-9030 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4402097 |
評価 |
4.1 |
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願成就院のすぐ裏手に有る、源頼朝公や北条氏にゆかりの有る神社だそうで、人家も近いのに人気も無く奥深い山の中の様な佇まいで、お社までとても急な階段を登ると清々しい空気を感じられる神社です。