近くにある北条の里駐車場に車を止めて徒歩数分で行く...
民家の目の前にあります。
北条の里駐車場が一番近くの駐車場になりますが、そこから歩いて2〜3分くらいの距離です。
現在は飲めませんが、当時は安産祈願のため、この井戸の水を飲んでいたそうです。
近くの北条の里駐車場に車を停めて歩いて2,3分の場所にあります。
突き当りの民家の壁の下にあるので不審者と思われない内にすみやか立ち去りましょう。
どん付きの民家の一角にあるため、近くにある北条の里駐車場に車を止めて徒歩数分で行くことが出来ます。
民家の真前にさりげなくあるので、近くに行かないと発見できません。
近くの狩野川の東岸には、北条氏邸跡があったと伝えられているので、この辺りまで北条氏邸だったと考えられています。
また、目の前には、室町時代の堀越御所跡が残されています。
今では住宅地となっておりますが、この場所には、北条政子の産湯の水をとったとされる井戸が残されています。
案内坂には、「安産に御利益があるとして、近年まで妊婦が飲んでいた」と説明はありましたが、今は使われていないようです。
北条政子がその成立に多大な影響を与えた鎌倉幕府が滅亡した後、鎌倉から移り棲んだ北条家の女性が近くの北条邸跡地に「円成寺」というが尼寺が創建されます。
その創建には「嘉暦の騒動」で名を成した北条高時の母「覚海円成」が中心となったと伝わっております。
円成尼は、最後の執権となった息子高時の自刃と共に鎌倉幕府滅亡を目の当たりにした方なので、この井戸の傍らでどんな風に思ったのでしょうか?因みに、円成尼は、源頼朝公と北条政子の縁結び役の「安達藤九郎盛長」の子孫です。
安達氏も、北条氏と有力御家人との間の最後の抗争と云われる「霜月騒動」で一族の多くが滅ぼされました。
それにも関わらず、北条氏の里に戻って、北条氏の女性達の行末を支えたのが、生き残った安達氏の女性だったと思うと、不思議な感じがします。
もう一人の尼将軍はこの井戸をどう感じたのでしょうか?
真実はさておき、政子産湯の井戸と伝わる。
四方、民家に囲まれた目立たない場所にあります。
入口の石碑が目印です。
空いていれば、バイクでこんなに近くまで行けます。
近隣の方の御迷惑にならないように気をつけたいです。
民家の前にあるので近づいてよいものか迷ってしまいます。
住宅の入り口にひっそりと有ります!
真偽はさておき、人ん家の前ですので、訪れる時は静かにね。
北条政子産湯之井戸へ近くの駐車場から歩いて住宅地わきを抜け路地の突き当り石垣の前にひっそりとありました。
堀越御所跡のすぐ近くで見かけたような気がする。
2011年頃の訪問。
北条政子が生まれた時に使ったと伝わる【産湯の井戸】は、北条館跡の一角に有ったと云われ、現在は住宅地の一角にひっそりと有ります。
北条時政の長女として生まれ、伊豆・韮山の地に流されていた、源氏の若き御曹司・源頼朝と結ばれ、夫・頼朝の死後は、【尼将軍】と呼ばれながら成立間もない鎌倉幕府の実権を握り、夫・頼朝が夢見た武家政権を存続させることを最優先に考え、波瀾万丈の人生を送りました。
2020年6月7日韮山城に続けてやってきました。
堀越公方の屋敷跡のすぐ近くです。
狩野川の近くに北条家の屋敷があったらしい。
Wikipediaには「石造りの井戸で明らかに江戸時代以降の井戸である」という記載があるが、ソース不明なので真実かどうかは分からない。
ただこの地で政子が生まれたのは間違いない。
車の場合、ちょっと離れた無料駐車場か、守山公園の駐車場を利用するのが良いと思われる。
北条政子が生まれた時、北条館の井戸水を産湯として使ったと伝わっています。
現在は、北条館跡に有った井戸として石組みが住宅地に囲まれた質素な遺構として残っています。
ロマンあります。
一瞬、民家の敷地内ですか?と足が止まりました。
見学は静かにした方がいいですね。
下田街道、韮山簡易郵便局の信号🚥を曲がった所にあります。
伝堀越御所跡近くです。
北条政子の産湯として使用した井戸。
現在も水を湛えている。
遺跡の保存の仕方が芳しくない‼
民家の敷地内のような場所にありますので、見学時はお静かに。
名前 |
北条政子産湯之井戸 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.4 |
周辺のオススメ

伝堀越御所跡と道を挟んで反対側にあります。