一般的には『青木の周福寺』と呼ばれています。
山号を宝鼎山(ほうていざん)といいます。
源頼朝との縁が深く、寺伝によると頼朝が源氏再興のために三島大社に百日の祈願に参拝した折、俎板原(まないたばら)の稲荷社(間眠神社・まどろみじんじゃ)の前に草堂があり、ここで午前十時ごろを待って仮眠をとっていたところ、本尊薬師如来が現れ吉兆を告げる霊夢を見たと伝わります。
頼朝はその傍らに松を植え、「まどろみの松」と名付けます。
後に鎌倉に幕府を開くと、仏恩に報いるため建久年間(1190年~1198年)に、現在地に寺を建立し祈願所としました。
それが、現在の周福寺です。
周福寺は、山号を『宝鼎山』と称しますが、一般的には『青木の周福寺』と呼ばれています。
この寺院もご多分に漏れず、源頼朝所縁の寺院です。
寺伝によると、頼朝が源氏再興のため、三嶋大社に『百日祈願』に参詣した時、俎板原(まないたはら)《現・三島市東本町付近》の稲荷社《現・間眠神社か?》前に草堂が在り、巳の刻(午前10時頃)迄仮眠をしていたところ、御本尊の薬師如来が現れ、吉兆を告げる霊夢を見た事から、堂の傍らに松の木を植え『まどろみの松』と名付けたと伝わっています。
後に、源氏再興の大願が成就し、幕府を開くと恩に報いるため、建久年間(1190~1198年)頃に現在の地に祈願所として、寺院を建立したと伝わっています。
周福寺に伝わる『まどろみ』伝説は、現在一般的に、三島市に伝わる『まどろみの松』伝説とは異なる『まどろみ』伝説です。
真偽のほどは。
源氏再興の宿願を果たした源頼朝が1190年に創立した。
境内には、秩父34か所、坂東33か所、西国33か所の観音霊場から勧請した百体の石像を安置している。
最近、住職さんが変わりました。
そのせいか、庭の手入れなど行き届いております。
前住職が酷かったからか❓
綺麗でした。
心洗われます。
名前 |
周福寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
055-971-4773 |
住所 |
|
評価 |
4.3 |
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令和5年5/17で墓じまいさせて頂きました60年程前に父母と前住職様(ぉ年寄りの方でしたが庭の手入れも綺麗にして居た事思い出します)と信仰有りまして周福寺院を選び長年,県外からぉ付き合いして頂き大変有り難く思っております私は甲府市在住で現71才になり後少しすると車の運転規制かかり身体的にも余り動けなくなる事,考えての墓じまいでした新住職様に出会いまして,子供の頃,父母に連れられて来た周福寺様の思い出が甦り現,住職様に墓じまいを相談した所、ぉ忙しい中,親身になって相談に乗って下さり心温まる内に墓じまいさせて頂き感謝しか有りません本当に有難う御座いました。