ここは亡き父が眠っています。
曹洞宗のお寺です。
焼津七福神の恵比寿様がお祀りされてます。
奥様が話し好きの方でいろいろとお話を聞かせてくれます。
また、お寺と関係のある長谷川家の歴史についても御住職様が教えてくれます。
本堂に上げて頂き、御参りを済ませると、お土産に寺名の入ったお煎餅を頂きました。
説明書よりーーー信香院 縁起昔、当院は会下と称し多くの僧集り修行する道場であった(創立年度は不詳)。
永正十四年(西一五一七)秋、暴風雨により建物大破の為に開山通山芳釈禅師は、小川城主長谷川治郎左衛門正長に相談をした結果、堂宇を建立し長谷山信香院と改称した。
正長は当院の開基とされる。
永禄十一年(西一五六八)冬に、武田信玄の兵火に逢い堂宇は悉く灰盡に帰した。
元亀三年(西一五七二)十二月二十二日、正長は三方原合戦のとき、奮戦して討死す。
享年三十七才(「寛政重修諸家譜」卷第八百六十五より)。
尚、当院に正長の墓地位牌が現存す。
天正十四年(西一五八六)二世大琳法慶禅師は、再び堂宇建立。
慶安元年(西一六四八)七月、德川家光より朱印地高四石五斗を賜ふ。
安政元年(一八五四)の大地震にて、堂宇傾斜す。
昭和十二年、本堂改築し、現在に至る。
開基正長が三方原で戦死した時、幼い三人の遺児があった。
長男は正成、二男宣次、三男正吉である。
二男の宣次の八代の孫が平藏宣以である。
平藏は先手頭となり、火付盗賊改を兼任、江戶の治安に活躍した。
彼こそ、池波正太郎原作「鬼平犯科帳」の主人公である。
平成二十六年 長谷山 信香院 三十一世 路久代。
最近ご無沙汰していたので墓参り行ってきました。
ここは亡き父が眠っています。
名前 |
信香院 |
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ジャンル |
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電話番号 |
054-624-3920 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
良い和尚様です。