名前 |
八剱神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.5 |
東征の途中でこの社にたちよったヤマトタケルのミコトが、ケヤキのかたわらで休憩したという。
それが起因となって神社が興ったという。
又 此の地の地名の由来となった信濃石がある。
_______________❸【参考 小鹿野町誌 1976年】八剱神社大和武尊が東国平定の際に、この社の大欅(けやき)のほとりで休憩したという。
延暦20年(801年)8月 里人が祠をたてて大和武尊を祀ったという。
これが神社の始まりとされる。
[鎮座地] 小鹿野町大字下小鹿野字信濃石1380番地[祭神] 大和武尊(やまとたけるのみこと・防火の神)[例祭日] 4月18日[境内地面積] 160坪______________❷【参考 新編武蔵風土記 1829年】八劔神社 江戸時代の神社の紹介文小名_信濃石辺りの鎮守である。
[例祭日] 8月8日[別当] 本山修験入間郡越生郷山本坊の配下 壽寶院_____________________________________昔の人は石も成長すると考えていたようで、信濃石はそれにあたります。
こんなに大きなものなった事を記念するために、この大きな石のあった所を信濃石と呼ぶようになったという事です。
(地名で信濃石と名がついていて、その名の由来がその石である。
)❶【参考 伝説の秩父 1956年】信濃石大きさは420㎝(1丈4尺)ぐらいで、真ん中に30㎝(1尺)4方程の穴がある。
此のあなに耳をあてると人の話し声が聞こえると伝えられている。
今の人は石が成長するなどと考える人はいないと思うが、昔の人は石が成長するものだと信じていたようです。
昔、ここ小鹿野町(おがの町)は信州との交通が盛んで、馬方達は隊列を整えて、荷物を運んでいました。
初めは馬に背負わせた荷物は縄で絞められていて安定して運ぶことが容易ですが、整備されていない道を進むにつれて縄は緩みだし荷物も片方に倒れこんでしまいます。
馬方は道端に落ちている小石を荷物と荷物の間に入れて、荷物の傾きをなおしたり、綱に張りを与えたりしながら道中をやりすごすわけです。
幾度もなく繰り返してようやく小鹿野の地に着くといった感じでした。
こうした小石は道端に捨てられ、長い年月により成長して1丈4尺の大きな石へと変貌したといわれています。
この大きな石のあった所を“信濃石”と呼ぶようになったという事です。