日進神社奉納餅搗き踊りを披露してます。
隣の公園も含め自由に使わせてもらえるので有り難い。
普段はかなりひっそり。
大晦日に餅つき祭りが盛大に開かれています。
餅つき踊りで新年の良い始まりを願う。
地元の神社。
大晦日の餅つきがいいね♪
年末から年明けに 餅つき躍りをやっている!
地元の方々の大切な産土神社です。
以下に日進神社に関して調査された大宮郷土史研究会による調査報告書を記します。
さいたま市北区日進町二丁目一一九四番地所在の日進神社は、鴻沼川と鴨川によって開析された大宮台地日進支台のほぼ中央を南北に通っている上加往還脇にある。
この上加往還は、原市・与野に通ずる主要道であった。
上加往還に面して入口があり、そこから八四メートル先に拝殿・本殿がある。
ほぼ東面している。
『武蔵國郡村誌』によると、かつては境内に杉の大樹があり、また宮の腰林といって八反一七歩にわたって杉松樅雑木が植わっていたが、現在は公民館・自治会館・消防団分団・公園等になっており、昔の面影はない。
神社南西部は崖で、出居(でっこ)と呼ばれた湧水池があったが、現在は涸れている。
『新編武蔵風土記稿』上加村の項に、「氷川社 村の鎮守なり、満宮寺の持、」とあり、また郡村誌上加村の項に「氷川社 村社々地竪五十八間横十三間面積五百六十坪村の南方字宮の腰にあり素盞鳴尊を祭る祭日九月十九日境内杉の大樹あり」、と記載されている氷川社が日進神社の前身である。
『北足立郡神社明細帳』に記されている「村社 日進神社(上加)」の由緒によれば、明治六年四月村社に列セラル、其他不詳同四十年五月三十一日同村大字西谷字北原無格社八雲社、同大字字稲荷原無格社稲荷社、同年六月五日同村大字上加字高 谷無格社天神社、字天神前無格社神明社、仝境内社神明社、字番場無格社御霊社、字東谷無格社稲荷社、同村大字櫛引字宮下村社氷川社、仝境内社八雲社、稲荷社、門客人社、八幡社、猿田神社、淡島社、同大字字宮後無格社天神社、同村大字西谷字神明村社神明社、同月七日同村大字下加字館野無格社浅間社、同大字字宮前村社氷川神社、仝境内社八雲社、稲荷社、熊野社、山神社、門客人社、同村大字大成字前原耕地無格社八幡社、仝境内社御嶽社、八雲社、天神社、神明熊野琴平合社、稲荷社、琴平社、雷神社、同大字字神明耕地無格社八雲社、仝境内社秋葉社、御嶽社、神明社、同大字字溝橋耕地無格社稲荷社、仝境内社神明社、琴平天神合社、八雲社二社、稲荷社二社、同大字字野久保耕地無格社石上神社、字本村耕地無格社神明社、字稲荷在家耕地無格社天神稲荷八幡合社、同年十月三十一日同村大字西内野字八ツ并無格社神明社ノ四十六社ヲ合祀ス明治四十年六月五日合祀ノ節、社号氷川社ヲ日進神社ト改称許可とある。
同社境内にある大正四年建立の石碑「神社合祀碑記」には十九社合祀としてその名が記されているが、合祀社の数の違いは明細帳が合祀した神社の境内社も記載しているのに対し、合祀碑には境内社が記されていないことによる。
なお、合祀碑には半在家稲荷社が記されているが、明細帳には記されていない。
祭神は明細帳によると、 素盞鳴尊 倉稲魂命 菅原道真公 大日孁貴命 天照大御神 祟道天皇 手名槌命 足名槌命 応神天皇 猿田彦命 高望王 木花咲耶姫命 伊弉諾尊 伊弉冉尊 大山祇命 誉田別命 日本武尊 大物主命 保食命 火産霊命 大雷命 布津御霊命である。
他に境内社として現在「門客人社 祭神 手名槌命・足名槌命」と「稲荷社 祭神 倉稲魂命」が祀られているが、風土記稿には末社として「荒脛社」と「稲荷社」が記されている。
風土記稿には、氷川社は「満宮寺の持」とあるが、真言宗満福寺末満宮寺は明治初年廃寺となった。
『埼玉の神社』(埼玉県神社庁 平成一〇年)によると神社の南東側にあったという。
祭日は、神社案内板によると、 一月 一日 歳旦祭 餅搗踊 四月 四日 例祭 七月十五日 夏祭 十月十五日 お日待 十一月吉日 七五三祝である。
『埼玉の神社』の日進神社の項によると、春祭り(例祭)は五穀豊穣を祈る祭り、夏祭りは無病息災を祈る祭り、お日待ちは五穀豊穣を感謝する祭りとある。
一月一日の餅搗踊は、神社にある説明板に次のように記されている。
大宮市指定無形民俗文化財 日進餅つき踊り 指定 昭和三十四年二月四日 祭礼日 一月一日 除夜の鐘が真冬の寒気の中を響きわたる頃、日進神社の境内は初詣の人や、餅つき踊りを見学する善男善女で大変な賑わいをみせます。
餅つき踊りは「接待餅」とも呼び、かつては村内での祝い事には随時踊られたものです。
そのはじまりは江戸時代に中山道の伝馬夫役に出た若者達が通行する大名や武士たちの宿で、旅の慰安と接待を兼ねて餅つきをしたことがだんだん芸能化していったものだといわれています。
ふかした餅米を頭上にかかげた者を先頭にして、大ぎね・小ぎねをもった者が、木遣歌を歌いながら入場し、つづいて総勢で音頭に合わせ餅米を練りあげ、こね取り一人と中ぎね四人が呼吸を合わせて一気に餅をつきあげます。
この真鉦搗(しんしょうつき)で餅つき踊りが始まります。
豊作を喜ぶ豊穣の曲搗き、丹頂鶴が飛び立つ様子でめでたさを表現した瑞祥の曲搗き、そして日露戦争の勝利を機に編曲した戦勝を祝う感謝の曲搗き(大勝利の曲搗き)へと搗き手を変えながら激しい踊りを披露していきます。
搗きあがった餅は参拝者にふるまわれ、この餅を食べると今年一年を健康に過ごせるといわれています。
平成元年三月 大宮市教育委員会 氏子は『神社明細帳』によると「百拾五戸」、『埼玉の神社』には、日進町一‐三丁目、宮前町、大成町四丁目、東大成町一・二丁目に「約五〇〇戸」とある。
【引用:「日進神社調査報告」大宮郷土史研究会】
清々しい気持ちになります。
公園がくっついています。
餅つき踊りを観てみたいです。
清々しい気持ちになります。
公園がくっついています。
餅つき踊りを観てみたいです。
毎年、一月一日私の所属している日進餅搗き踊り保存会が、日進神社奉納餅搗き踊りを披露してます。
是非一度、初詣ついでにご覧いただけたら嬉しいです。
新年0時から餅つき踊りが行われます。
参拝者には福餅が配られます。
私たちの大切な産土神社です。
元日の餅つき踊りは有名。
参拝の後に見てはいかが?
名前 |
日進神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
〒331-0823 埼玉県さいたま市北区日進町2丁目1194 |
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
素敵な神社でした。