遺構が残っているのでおもしろいです。
中世、中遠に拠った久野一族の本拠地です。
永禄11(1568)年、徳川氏と武田氏が今川氏を攻撃した際には、当主久野宗能は徳川に与し、遠江に進出してきた武田氏の秋山虎繁と干戈を交えたといいます。
久野城は元亀3(1570)年、武田信玄の西上作戦の折にも戦場となりました。
平山優先生の『徳川家康と武田信玄』によると、高天神城を降伏させた武田信玄は久野宗能が籠る久野城を攻撃しましたが、久野城はよく持ちこたえついに降伏しなかったようです。
さて、久野城は三方を湿地に、搦手が崖になっている堅城で、東海道を見下ろすことができる要地に築かれています。
久野氏が徳川氏に従って関東へ移ったのちに入城した松下氏はさらに防備を固め、三方に水を蓄えた水に浮かぶような城になったと考えられています。
遺構は地元の方々の手によってよく整備されており、いまも当時の縄張りをはっきり感じ取ることができます。
周りが田んぼで建物が無く周辺が見渡しやすく景色が良いです。
ただし足元は舗装されておらず草が生えて歩きづらい、それと近所に住む人が犬の散歩で使っているらしく🐶のウ○チ💩が転がっているので足元には要注意‼️です。
久野城跡(くのじょうあと)所在地 静岡県袋井市鷲巣1281築城年 明応年間(1492〜1501)築城者 久野宗隆形態 丘城(標高34m・)遺構 土塁・曲輪・堀・井戸廃城年 1644年(正保元年)1500年頃、久野宗隆によって築城されたそうです。
城跡は、よく整備されていて駐車場にはトイレも有り、パンフレットも置いてありました。
久野氏の城。
城址は整備され、立て札が充実しています。
城は本丸を中心に段差のみで曲輪を配した縄張りとなっており小規模な土塁や井戸が残ります。
往時は泥田堀に囲まれていたようです。
JRのウォーキングで寄り道して来ました。
周囲が湿地になっていて、往時は水堀で囲まれていたのが容易に想像できる。
草が刈られていたので、見学しやすかった。
駐車場から手軽に登れます。
小さい城跡だけど空堀、曲輪、井戸跡など遺構が良く残っています。
今回は大手門から攻めました。
大手門の駐車場は少し狭いので大きい車の方は北の丸の駐車場をお勧めします。
トイレもあります⁉️
保存会の方々の努力が垣間見える丁寧に整備された城。
北側の駐車場から登って下ってを繰り返しつつグルりと一周出来る。
物凄く分かりやすいお城なのだが、逆にあまりにも分かりやす過ぎて探究心が起きないと言うのは贅沢?
袋井の可睡斎に立ち寄った際、ちょっと寄り道してみました。
自然の丘陵地を利用し、人工的な堀切り、土塁を備え、幾重にも連なる曲輪から構成された縄張りがハッキリと確認される平城ですかね。
晩秋の候の訪問で、雑草も綺麗に伐採されて、しっかりと手入れされていました。
石垣のない城ですが、工夫された縄張りに感動します!
ハイキングではじめて行きました。
そんなに広くないけれど山あり広場ありでいいところでした。
草刈りもしてあったし、思っていたより整備されていました。
トイレが少ないからそこが残念です。
かつての城跡で大きな看板が目印。
草を刈ったばかりとのことであるが建物跡は見られない。
2月3日より御城印配布を始めたとのこと。
北側に駐車場があり。
遺構が残っているのでおもしろいです。
御城印は南の北公民館にあります。
在地領主で今川氏に属した久野氏の築城とされる。
石垣等がない土の城であるが、遺構が明瞭に残り見応えがある。
良く整備され、城としても歴史的価値が有ると思う。
久野城址登り口横に専用の無料駐車場が有ります。
天守址迄の登り階段は手すり等があり登り易かったです。
但し、8月中旬過ぎですが山全体が夏草に覆われていて登るにも大変でした。
定期的に整備されいるかはさだかでは無いですが現状、此だけの城址です歴史観光地としては勿体無いです。
意外なところに近世城郭、といっては失礼かもしれない。
夏場は藪だらけだが、本丸ほかの遺構の残りがとてもよい。
城の周囲は深田となっていて、守りを固めていたようで、遠州第一の要害というのは伊達ではないかもしれない。
駐車場から見上げる横堀土塁は圧巻。
難攻不落の城だったと思われます。
城跡を歩くと面白い発見があるよ(*^▽^*)
城跡を歩けます。
街灯が殆ど無いので夜間は危険です。
名前 |
久野城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
遺構が分かりやすく残っている。
(保存会方々の努力と思う)ここまで形になっていると更に建築物等欲しくなってくる。
山の形状も美しいので高根城のように城郭があればいいなと思う。