明秋村の守り神。
川に近いので水害から地域の人たちを守ってきたようです。
かつてあった明秋村の村社県道76号線糠田橋のすぐ下に見える鳥居付近の道路脇などに駐車可能建っている土地は荒川の河川敷であり台風などの増水時には水没する事も少なくない2019年の19号台風でも水没して鳥居が流失したしばらくは竹にしめ縄を張る仮の鳥居だったが秋ごろに再建した河川敷なので晩秋には草刈りが行われ鎭守の森を含めた全体像がよく見える木々にはノスリ他の猛禽類も見られる社殿は小ぶりな拝殿、本殿とそれをつなぐ廊下中も少し掲げられている額があるくらいで何もない質素な物末社の祠などは無くいくつかの石碑があるのみ台風の増水時には泥で覆われていたが今は綺麗に復旧している鳥居の脇にかつての鳥居の土台が置かれている。
鴻巣市と川島町を結ぶ埼玉県道76号線、糠田橋下に鎮座するワビサビ感バツグンの神社『明秋神社』さん。
鳥居を潜り境内に入ると、本殿は引越し後?いや暴動でもあったの?な残状のワビサビの極地。
神棚は現在だったので不敬とは思いつつも土足で参内し参拝しました(⌒-⌒; )ぶっちゃけ、神様の取り扱い的にどうなの?せめて、戸ぐらい建て付けてあげようよ(⌒-⌒; )吹きっ晒しは流石に不敬では?●社名:明秋神社●住所:t埼玉県吉見町明秋510●御祭神:・天照大御神(伊勢神宮主宰神、三貴神の一柱)・豊受大御神(豊受大神宮(伊勢神宮外宮)主宰神)●由来:・創建年不明ながら、1727年の検地以降に『神明社』創建。
・1804年〜1869年、吉見橋から現在地に移設。
・1872年、現地・須戸野谷新田が、鴻巣宿から分離独立。
・1874年9月、明治の「明」と季節の「秋」を採って明秋村と改称。
・1912年、境内の稲荷社を本社に合祀し、『明秋神社』に改称。
●御朱印:無し。
社殿に掲げられている、宮司による文章を転載します。
明秋「明秋神社」のこと宮司 須田千秋御祭神 天照大御神 豊宇氣毘賣神当社の御創立は不詳、旧別当はなく村民持ちであった。
明治元年三月十三日政府は国の体制を祭政一致の制に復し、天下の神社を神祇官に所属せしめた。
同年三月二十八日神仏分離の令を以て寺の管理から分離(権現、牛頭天王等の神号を廃し、仏像の御神体・鰐口・梵鐘・仏具等の除外)明治四年五月十四日太政官布告により神社は国家の宗祀とされた、是により明治四年六月中入間縣へ村社の届出をなし社格制度 (官幣社・国弊社・縣社・郷社・村社)による「村社 明秋神社」となり、祈年祭、新嘗祭(秋祭)・例祭の三大祭には神饌幣帛料が献じられ祭儀が厳修された(神饌幣帛供進使参向指定の社には、その社格に応じ市町村の長が参向した。
神饌幣帛が献じられない社を無格社と言う)大正元年九月五日本社境内神社稲荷神社を合祀し社号神明社を明秋神社と改称した。
昭和二十年八月十五日終戦、同二十一年二月二日官制廃止、同年二月三日神社本庁が設立された。
明秋神社でも宗教法人法の定による宗教法人となるべく諸手続きを進め昭和二十八年二月二十八日埼玉県知事により神社規則が認証され(埼宗認第九〇八号)神社本庁が包括する「宗教法人明秋神社」となり現在に至っています。
戦後宮司奉仕者は、原口孝慶、鎌倉賢次、須田太平、須田常一、小職(須田千秋)※明治十七年四月十六日發兄人根岸武香氏に係る、新編武蔵風土記稿に依れば須戸野谷新田は江戸よりの行程十二里餘、民戸十六當所は東照宮御鹿狩ありし地にして其時鴻巣驛より荒川へ舟橋を渡せし故この地を鴻巣驛の傳馬役地に賜はりしより今に至るまて鴻巣宿の持なり。
後に原野を開墾して陸田とす、村の四境東は荒川を隔て足立郡瀧馬室糠田の二村に界ひ、南は當郡の北下砂新田、北は今泉新田上細谷新田、西は上細谷新田及び一ツ木新田丸貫新田下砂新田古名新田等の數村なり、村の廣さ東西八町許南北二十町餘、水損の地なり、又村內鴻巣驛より松山への往還あり、當村開闢より以来御料所にして今に替らす、撿地は享保十二年筧播磨守糺せり。
小名 立野 谷通荒川 村の東を流る川幅五十間神明社 村の西の方にあり、村民の持相傳ふ此地もと東照宮の御休所なりし故後入當社を建立せしと云土居なども存せしか、今は廃して圍み九尺許の柳の古樹あるのみ。
稲荷社 當社及び神明社又村の鎮守とす村民持以上明治以降今日まで様々な変遷は有りましたが、私たちの先人は先祖代々受け継いで来た神社仏閣を中心にした「敬神崇祖」の念を以て伝統文化を護り次世代に引き継ぐべく誠心誠意を尽くされました。
神社は心の拠り所であります。
世情極めて厳しい昨今ですが先人が実践されました「敬神崇祖」の念をいよいよ篤くし祭祀を厳修し神社の弥栄と地域の安寧発展の為に御理解とお力添えをお願します。
歴代宮司の内、祖父以来三代四十有余年に亘り氏子皆様のご支援のもと宮司として神明奉仕が叶います事心より感謝いたしております。
今後も一層のご協力をお願い申し上げます。
平成二十二年霜月記。
再び訪ねてみたら、この間の台風の影響で水で溢れて流されたみたいだ。
名前 |
明秋神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
もう廃神社なのかなと思わせる解放感がある。
河川改修で集落の位置も変わってしまったのかもしれない。
イチョウが綺麗に紅葉していた。