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公益財団法人埼玉県下水道公社 荒川左岸北部支社 / / / .
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桶川市小針領家にある綾瀬川起点の近くの下水道局。
備前堤上の「1級河川綾瀬川起点」の石碑。
桶川市小針領家の荒川終末処理場(下水道公社荒川左岸北部支社)と、清掃センター(桶川市役所 環境センター)、との間の備前堤で川が仕切られ直角に川の流れが変わり元荒川に流れている。
堤の向こうが綾瀬川の起点である。
ただ桶川市、蓮田市、伊奈町の田圃の排水が綾瀬川の源流ということになる。
伊奈町の一番北側にある工業団地から400mほどの場所になる。
高崎線の大宮の先が上尾で、その先が桶川。
備前堤とは伊奈忠治によって、慶長年間(1600年頃)に築かれたとされる綾瀬川の締切り堤防。
現在でも約500mが残っている。
近世初頭には綾瀬川は旧荒川(現在の元荒川)の派川(旧荒川から分岐する川)だった。
旧荒川が高台を流れるのに対して綾瀬川は低地を流れていたので、旧荒川が増水すると洪水の大半は綾瀬川の方へ流下し、下流側の伊奈、蓮田地域に水害をもたらしていた。
そのため、下流側の洪水被害を防ぐ目的で、綾瀬川の分岐地点に備前堤が築造され、綾瀬川への流入量が調整された。
備前堤は締切り堤防だけでなく、控堤(村囲み堤)の役目もあったので、備前堤の上流側は遊水地の一種となったのである。
現在も小針領家地区には、備前堤の上流側(西側)には堤外、下流側には堤内という小字が残っている。
控堤が存在することで、水害を避けられるのが堤内である。
綾瀬川は低い地域を流れる川なので、洪水時には水量の大半が綾瀬川へと流れ込み、周辺地域に頻繁に湛水被害を及ぼしていたと思われる。
綾瀬川は蛇行が激しいので、洪水流下能力は低かった。
江戸時代初頭には、流域の水害防止と新田開発のために、綾瀬川は荒川の流れから切り離された。
その締め切り地点に設けられた堤防が桶川市の備前堤であり、奇しくも現在は備前堤が綾瀬川の一級河川としてのの管理起点となっている。
ちなみに芝川(荒川の支川)の源流も、綾瀬川と同様に桶川市内にある。
綾瀬川の締め切りによって、元来は綾瀬川へ流れ込んでいた水は荒川(元荒川)へと導水された。
荒川の下流には末田須賀溜井と瓦曽根溜井が設けられていたが、それらの溜井(農業用水の貯水池)では、水量が増強されたことになる。
締め切り後の綾瀬川は農業用水路として使われていたが、延宝8年1680年には幕府によって綾瀬川への用水堰設置禁止令が発布され、岩槻領よりも下流は悪水(排水)専用の河川とされている。
流頭(水源)が絶たれたことで水量が減り、堰止め禁止によって滞留もなくなったので、綾瀬川の水位は以前よりもかなり低くなったと思われる。
流域の水害が減少したこと、排水環境が向上したことなどから、綾瀬川流域では新田開発が進行したと推測される。
なお、綾瀬川は江戸時代初期までは埼玉郡垳村、現在の八潮市垳で古利根川(現在の中川)へ合流していた。
草加市内を南流する現在の流路は元禄年間1690年頃に開削されたもので、新綾瀬川と呼ばれた。
綾瀬川の旧流路跡は草加市内が古綾瀬川、八潮市内ががけ川と呼ばれている。
名前 |
公益財団法人埼玉県下水道公社 荒川左岸北部支社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
048-728-2011 |
住所 |
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評価 |
3.7 |
マンホールカード配布平日のみのため夜勤の日の昼間に訪問しました。
対応は親切です。