小さな神社ですが、物凄く落ち着きます。
長月 晴れの参拝派手さはないが清く落ち着いた感じの神社さんでした御朱印は書置きで、御朱印帳は毎月第一日曜日と神事の時に神職の方が居るらしいので、その時に購入できるそうです。
2021/10/03。
蜂前(はちさき)神社駐車は境内の手前、神輿が入る倉庫付近を利用。
氏子の方々が祭りの準備か片付けをやっているようだった。
車から降りてすぐ鳥居近くに乳於母命神社(ちおもみことじんじゃ。
御朱印あり)拝殿の中にも氏子の方々や神主さんらしき人が集まっており活気があってよろしかった。
御朱印は社務所の入口で無人式。
拝殿に向かって右の坂道を登ると天王神社に続いている。
元々羽鳥(はとり)大明神といい、秦氏関係の神社説があるらしい。
2021/06/26静岡大学の加藤先生のユーチューブで見たけど外来種のキノボリトカゲが住み着いているようでちょっと見て回ったけど見つけられなかった。
繁殖してるのかなあ。
前に浜松に住んでいる時から気になっていた場所で、今回近くに行った関係で初訪問。
神社の名前から、蜜蜂に関係するのか?と思いましたが、特に関係は無いようです。
昔この地域を治めていた、井伊家に関係する神社のようです。
境内はちょっと寂れた感じもしますが、静かで境内の掃き掃除しか聞こえない、ある意味心落ち着ける場所です。
都田に行った際はお参り下さい。
とても静かな場所でした。
御朱印の頂き方がわからず帰ってしまいました…
三度目の参拝です。
三度とも雨です。
とても静かな場所で気に入っています。
御朱印や御守りは拝殿内のケースに入っています。
初穂料はお賽銭箱へ。
伊井家のゆかりの神社という事で訪問。
基本だれもいないが無人でのお守り、御朱印の販売をしている。
一応、動画を撮りyoutubeにアップしました。
(-_-;)良ければ、参考にでも‥。
駐車場は鳥居の脇にあります。
通りからは看板もあり迷わずに辿り着けます。
平日の昼間の為が誰もおらず一人静かに参拝出来ました。
御朱印は直虎花押との一組の書置きで本殿に置いてあります。
初穂料はお賽銭箱に入れました。
井伊直虎ゆかりの神社です。
直虎の花押が有ります。
静かで落ちついた感じの神社でした。
お社は古いですが歴史を感じました。
御朱印は書き置きが頂けます。
落ちついたいい所ですね。
今なら人も少なくゆっくり見れます。
見た感じは普通の氏神さまのような感じの神社です。
御朱印はありますが書置きのものです。
駐車場ちゃんとあります。
小さな神社ですが、物凄く落ち着きます。
静かで、緑に囲まれていて、素敵な所です。
駐車場もあるので、少し立ち寄るにも良いです。
ただ、場所が分かりにくいかもしれません。
気付かず通りすぎてしまうような、本当に奥にあり、小さな神社です。
三方原の戦いで武田軍が徳川軍を待ち伏せしたといわれる場所に鎮座する古社。
現在、浜松市博物館に保管されている、井伊直虎の花押のある唯一の古文書「井伊直虎関口氏経連署状」は、蜂前神社の所蔵物。
御朱印は書き置きがある。
御朱印帳は終了してしまった、残念。
式内社。
鳥飼神社、羽鳥明神とも。
熯速日命を祀る。
大河ドラマ『おんな城主直虎』に登場した直虎の名がある徳政令の文書を所蔵する神社。
御朱印二種を頂きました。
直虎の存在を証明する唯一の花押がこちらの神社で所蔵されていました。
大河ドラマの影響は凄まじいですね。
10年前は今にも倒壊しそうな神社でしたのに。
こうやって地方が注目されることは、良いことだと思います。
国道沿いにあるので場所はわかりやすいと思います。
大河ドラマの放送中なので土日祝日、10:00~16:00のみ社務所に地域のおじいちゃんおばあちゃんが大勢いて御朱印帳もありますが、大河が終わったらたぶん無人になると言われました。
書き置きの御朱印とお守りは時間外でも無人販売しているようですが、御朱印帳は人がいる時しか手に入らないようですよ。
「蜂前神社」には、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」で知られる、「井伊直虎」(いい なおとら)に関わる古文書が残されています・・・。
「蜂前神社」に残された古文書は、「井伊直虎関口氏経連書」と呼ばれ、徳政令の発動を伝える事が書かれています。
名前 |
蜂前神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

2017年8月11日参拝。
なんだったっけなあ、直虎か何かのブームがあって変に賑わっていた記憶があります。
大きくて由緒ある神社ということで、ボランティアガイドのおじいさんが数名いたんですが、そのうちの一人がすごく面白かった(ここではとても書けないことを色々教えてくれたわけです)。
あの爺さん、まだいるかなあ、また会いたいもんです。
由緒は次のとおりです。
蜂前神社の由来祭神 本社 熿速日命左脇宮 甕速日命右脇宮 武甕搥命由緒15代應神天皇11年庚子3月8日(西暦280年)に八田毛止恵と云う人が勅命によって遠江國に下向して八田(祝田村の古名)45町廣田(刑部村の古名)70町岩瀬(瀬戸村の古名)8町3反合計123町步余りを開墾して本社を八ヶ前に勧請して蜂前神社と齋き奉り子孫代々祝部として奉仕しました脇宮二社は19代允恭天皇の御代に勧請されその頃から社号は鳥飼神社、羽鳥大明神と称へられ延長5年(西暦927年)峰前神社と改め古名に復しました延喜式神名帳に記載されている式内社であり旧社格は郷社であります昭和五拾五年拾月 之建(境内由緒書)応神天皇十一年三月八日(西暦二八十年)八田毛止恵という人が勅命によって遠江国へ下向して、八田(祝田村の古名)四十五町広田(刑部村の古名)七十町岩瀬(瀬戸村の古名)の八町三反合計百二十三町歩余りを開墾して本社を八ケ前(さき)の地に勧請して蜂前神社と斎き奉り子孫代々祝部として奉仕しました。
脇宮二社は十九代允恭天皇の御代に勧請され、その頃から社号は鳥飼明神、羽鳥大明神と称えられ延長五年(西暦九百二十七年)蜂前神社と改め古名に復しました。
延喜式神名帳に記載されている式内社であり旧社格は郷社であります(書籍からの書き写し。
ソース失念)