今は堤防で、当時の遺構はなし。
古河城 本丸跡案内板 / / .
渡良瀬川と日光・奥羽街道が交わる交通の要衝だった古河。
戦国時代初期は室町幕府(関東管領)に対抗した古河公方による、東関東(現在の茨城・栃木・千葉)支配の本拠地となりました。
さらに江戸時代は東北地方に置いた雄藩からの侵略を防ぐため、老中クラスのエリートを古河藩主に配していました。
古河城は渡良瀬川を引き込み、周囲を川と濠で取り囲んだ平城です。
渡良瀬川は北西から流れてきて城の脇で南西に大きく方向を変えるため、大雨の際は常に氾濫のリスクに晒されていました。
そのため、明治に入ると河川改修が行われ、城郭の一番東に張り出していた諏訪曲輪(現在の歴史資料館の辺り)を残し、濠は埋められ土塁は潰され、大部分が河川敷になってしまいました。
ちなみに本丸は現在の野球場のピッチャーマウンドの辺り。
奇しくも土塁は英語でマウンド。
潰された土塁はここだけ復興されていました!?
本丸跡と城跡の石碑だけだが、見事に形跡が無いのにしっかり表示してあるのは珍しいので、お城ファンにはかえって楽しい。
見晴らしがいいので、晴れた日は夕日がキレイです。
徹底的に破壊されるのは川沿いの城の宿命かもしれないですね今現在に生きる人のための治水の方が遥かに大切と、本宿城で学んできたのでこれだけしかないのはやむなしですしかし古河公方公園の方から来るとけっこう怖いのでそのあたりなんとかならないですかねぇ。
身近な古河の歴史を知ることが出来ました。
古河市内側からだと駐車スペースが無いので、渡良瀬川側から訪れた方が良いです。
渡良瀬川の近くですが、城跡を何も感じない。
写真に写っている橋は新三国橋。
土手上に建てられた碑のほかには何もない。
寂しいがむしろそれを逆手に取って、人為の虚しさ、あるいは文化は人間の絶えざる営みによって維持されることを学ぶべきか、いずれにしても渡良瀬川を眼下にして往時の歴史を偲ぶことができる。
旧三国橋から南のサイクリングコースに有ります。
城跡の一部でもあれば良かったと、いつも思います❗
土手沿いを朝、ウォーキングしていると、「古河城跡って、どこですか?」観光客らしき人から問いかけられました。
わざわざ宿泊ホテルから、早朝散歩でやってきたらしい。
「いや〜、この先にありますけど、がっかりしないでくださいネ」と、思わず苦笑い。
こんな時、堂々と案内できるようにしてほしいです。
せっかくのお城跡なのだから。
ん? と思ってたら、いつの間にか立派な石碑が立っていました。
ので、星一つランクアップ!
今は堤防で、当時の遺構はなし。
歴史博物館に模型があり、堤防建設までの変遷もわかります。
何もないから、標識が立派なものに変わっていた。
関東有数の城郭だったが明治期の河川改修で河川敷の更地と化する。
地元の人間以外は古城好きでもない限り知る人も少ない。
歴史博物館には城一帯の模型がある。
17年に城擬人化ゲームにまさかの登場で知名度アップに貢献。
おなじみ信長の野望の古河御所はここではない。
有るのは看板だけ・・
渡良瀬川の河川敷となってしまい、遺構はほぼ消滅しているのと同然なのですが、俺にとってはお気に入りの城😁街中には門の跡を示す石碑や出城、百間堀跡、移築城門もあり見所は多いです😁
遺構は消滅。
何も残っていません。
名前 |
古河城 本丸跡案内板 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
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評価 |
3.3 |
また来た🎵復元してほしい‼