社務所は、地元の会議等に使えるようです。
社務所を民生委員の地区協議会で使わせて頂いています。
ご近所の家族が境内で遊んでいました。
境内はとても綺麗に清掃されていました。
祭神 神功皇后例祭日 10月9日創建不詳だが古文書によれば永享3(1431)年条に記載されていることから、それ以前の創建と思われる。
社伝に大多喜城主正木時総公が奇石を祀り高石神と称したとある。
佐倉道の鬼越追分から木下街道を進むとすぐ左側にある。
総武線下総中山駅、京成本線京成中山駅、鬼越駅下車徒歩数分。
しずかで最高。
「高石」という神社は、ありそうでそんなにありません。
関東では川崎市麻生区にひとつ。
市川市原木中山にあるのは、たぶんこちらの分社。
この一帯は「高石神」地区で、明らかにこの神社からその名が取られていますが、そのへんにデカい石があるようでもない。
シロウト意見ではなく、せっかくなのでちゃんとした研究者の文章を転記しておきます。
「広報いちかわ」(574号)で、「市川のまち地名の由来」No.9として書かれた、社会教育指導員・綿貫喜郎氏の記事。
---------------- ここから ---------------木下街道が国道1号線に出る手前、京成電鉄の踏切を越えて右側に入り、石段を上ると、高石神社があります。
神社の北側は京成電鉄を通すときに削られて、数メートルの崖状になっています。
また、境内は一面砂地で、国道に出る道はゆるやかに傾斜しています。
この地形は明らかに、神社が砂丘の上に建てられていることを示すものです。
高石神社の祭神は明らかではありませんが、神功皇后だと伝えられ、御神体は、剣を帯して馬に乗った軍神の像だといわれています。
しかし、高石神の地名から察すると、御神体は”石”ということになるのではないでしょうか。
ところで、東京都葛飾区には京成立石駅がありますが、その近くに祀(まつ)られている「立石」は、原始時代のメンヒル(巨石記念物の一種)で、古くから地元では「立石様」として崇(あが)められてきました。
そして、現在、それが地名となって残っているのです。
高石神もこの立石と同じく、古い時代に東京湾に面した砂丘の上に建てられたメンヒルでないかと思われます。
そして、「高石様」として祭祀(さいし)され、地名となったものです。
また、「江戸名所図会」には、「当社は里見安房守義弘の弟、南総大多喜城主正木内膳亮時総(ないせんのすけときふさ)の墳墓なりといへり」と記していますが、このことは永禄七年における国府台合戦が、国府台だけでの戦争で終わらず、破れた里見軍を追って、北条軍がこの高石神から中山の台地で再度戦ったことを物語っています。
高石神社の別当寺は、日蓮宗の泰福寺です。
この泰福寺には、開山日寂の供養のため、法華経寺の三世日祐が建立した板碑が残っており、市の文化財に指定されています。
高石神は、江戸時代、朝比奈氏の所領となり、泰福寺は朝比奈泰勝が建立した寺院で、朝比奈の”朝”を取って「朝光山」、泰勝の”泰”を取って「泰福寺」としたものです。
社務所は、地元の会議等に使えるようです。
綺麗ですよ!
何か落ち着く、車が多い道の側なのに空気が違うような気がする。
この上をみていなかった(今度行こう。
)
この神社住宅街のなかにあるわりには、管理がゆきとどいてなかった少し寂しいな~て、思いました、氏子さん達頑張ってください、このへんの地域を守ってくれている神様だからお願いします。
癒される神社。
京成線路沿いにあり、踏切の警報器の音がうるさいです。
名前 |
高石神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.4 |
遊具があり子供が遊んでいた。
地元民を見守り支えられているのかな。