戦国時代の砦の雰囲気が最高に良いです。
人気がないけど、しっかり整備されてます。
ゴミ一つなく自然を体験出来る良いお城です。
散歩には最高ですね。
ただ虫がたくさんいますので虫除けはもっていった方がよいかも。
復元された建物も良いが、遺構が広範囲に良好な状態で遺っており、それらを活かす様に公園として整備されているのが素晴らしい。
復元した建物の中や櫓に登れるかは事前に確認した方がいいかもしれません。
コロナの対応のためか入れませんでした。
低めの台地に建てられた平山城のようです。
天守閣や立派な石垣はない分、櫓、土塁、堀は戦国時代の姿を忠実に復元しているそうで周りを取り囲む堀には芦などの草が生い茂っていたり、本丸のまわりに空堀も張り巡らされていたり、当時を思い浮かべることができます。
戦国時代を舞台にしたドラマの撮影にも使われたそうです。
平日は訪れる人も少ないようですが、のんびりと満喫できます。
城を中心とした公園で櫓の近くに10台ぐらいは停められそうな駐車場があります。
ただ公共交通機関の駅からは、やや遠く車で訪れるのがおすすめです。
下総国猿島郡にあった、戦国時代の平城で、逆井常宗が築城するが、その後後北条氏により、大規模に改修されました!始めの逆井氏の城を逆井古城🏯、後北条時代を飯沼城🏯とも言う!今は、土塁に空堀や水堀それに、塀や井戸が残るのみで、再建されたものは、櫓や土塀に主殿ー楼門ー木橋があります!
室町時代に逆井氏が興しました、古河公方に味方していたので北条に攻め込まれて落城、三代目氏康の大のお気に入りの氏繁が城を作り直して今の形になります、上杉や武田との対最前線基地となり風魔忍者の拠点とも言われています、秀吉の小田原攻めで廃城になりました文献が多く残っていたらしく、それに基づいて復元されました駐車場は広くて無料です、目の前に深堀と銅葺きの二重櫓、多聞塀の先に門と見張り櫓が見えます、壮観です、曳橋を渡って二重櫓と多聞塀沿いを歩きます、二重櫓も見張り櫓も入れませんでした、その先の土塁の上を歩きながら深堀を眺めて時計回りに見て行きました、内堀は堀底も歩けます、北条ならではの折れ曲がった堀は楽しめると思いますよ井戸や奥の門と曳橋を渡り土塁を歩き回ります、各所の広い曲輪は芝生のグラウンドゴルフ場として楽しんで居られましたやはり北条の城跡は戦国感があって良いですね。
観光案内が少なくて道からの入口も分かりずらい!けど静で落ち着いた雰囲気が良い感じでした。
広場では地元の方達がゲートボールしてました。
のどかで落ち着きましたよ!
逆井城(さかさいじょう)戦国初期の素朴なお城が再現されております。
関宿城門は復元ではなく移築されたもののよう。
旅色人こと🏯hikaruでしょうか🙆昨日✨茨城県、境町の富士見百景を立ち寄った際に訪れました🐝とても、風流な戦国時代の「お城」は素敵でありましたね✨逆井城跡内の散策は短時間であり。
良い気晴らしですよ✨又、冬景色🌠満載で風情がありましたね。
ここの逆井城跡公園の、、建物である二層櫓から、眺めるので良いかと思いますね🙆ここで、のんびり1日コ―スの提案したいと思いますね🙆お城巡りと富士見百景が良いですね。
🏯城は2城の訪れる☀️県立関宿城博物館✨逆井城跡公園⛲️でしょうか❕中間地✨富士見百景からの富士見でしょうか、近くには渡し舟乗り場✴️境町の道の駅でしょうか🙆
中世城郭を忠実に復元した城址土塁・空壕など土造りの遺構も最高に良い。
北側に西仁連川用水を臨み、西に入江だった蓮沼が存在する台地の先端上に位置している。
西仁連川は江戸時代の干拓の際に沼の西側外周部が掘削されたもので、干拓前は飯沼という南北30kmに広がる沼が城の北方に存在していた。
この南北に細長い飯沼は逆井城の北で東西に蛇行しており、城はこの沼の歪曲部に位置し沼に囲まれた「後堅固の城」でもあった。
北崖を飯沼が洗い堅固なため、本丸が最北端に位置している。
南側に曲輪が連なり、大軍も収容できるように大規模な構造となっている。
戦国時代の砦の雰囲気が最高に良いです。
観光には向かないと思いますが、お城が好きで、リアルな戦国時代のお城の雰囲気を味わいたい人にはおすすめです👍️
戦国期の城郭を再現・復元しています。
敷地内には関宿城の薬医門が移設されていました。
天守相当の物見櫓や空堀、櫓門など無骨な雰囲気がよく出ています。
お城といえば姫路城みたいな江戸時代の近世城郭を思い浮かべる人にはカルチャーショックかも。
きっとこんな感じ。
室町~戦国時代に築かれた平城の跡地です。
昔はここのすぐ北に飯沼という大湖沼があった(現在は東仁連川と西仁連川がその輪郭を流れています)ため、自然の要害として好立地でした。
初期は地元豪族の逆井氏、戦国期には後北条氏が支配していました。
特に北条氏が常陸の佐竹氏と対峙しているなか、北条家の重臣であった北条氏繁が病死した城として知られています。
土塁や空堀などの遺構が比較的良好な状態で保存されている他、現在は二階櫓と物見の矢倉、更には平時の執務スペースだった御殿などが復元されています。
復元といっても当時の絵姿が現存しているわけではないので、専門家が考証しながら「きっとこんな感じだろう」と想像で作ったはずです。
世の中には「なんちゃって天守」が山ほどありますが、ここは良識ある復元で好感度高いです。
良く手入れが行き届いて紅葉と相まって美しい城跡でした。
この城は、北条氏が築いた城で、比高二重土塁や、水堀、空堀などが良く残っています。
公園として整備されて、見学しやすいです☝️また、櫓や、主殿、門などが復元された中世城郭跡でもあります。
立派な櫓があり中に入れます。
四季折々の景色を眺められます。
駐車場あり。
城跡の公園です。
無料駐車場あり。
バスは猿島バスターミナルから月水金のみ運行なので事前に時刻表など確認した方がいいでしょう。
自家用車でカーナビで行くと駐車場が見つからないかもしれないので注意。
ピクニックやBBQが出来ますが、BBQは事前の申請が必要のようです。
関東の雄、北条氏の最前線の城です!戦国時代の赴きを今に伝えるシンプルなお城です。
ドラマの撮影も度々行われています❗
四季折々に美しい逆井城址大好きな場所です。
桜まつりや古城まつりなどのイベントもあり、特に桜の季節と観音堂の紅葉がキレイです。
清水太郎の逆井城探訪記 平成21年11月22日にかねてからの願いであった、茨城県坂東市にある逆井城を仕事のついでに訪れる事ができた。
天候は快晴、気温は16度。
逆井城の歴史 逆井城は飯沼に臨む標高20mの台地先端にあり、城の北側は飯沼が洗い、西側は入江の蓮沼に接していました。
飯沼は江戸時代の新田開発により湖水はなくなりましたが、およそ幅1km・南北30kmにわたり、その名残を残しています。
今から約410年前(城の複元された時期)の戦国時代に、此の飯沼が後北条氏と佐竹・結城氏・多賀谷氏らの領国の境目でした。
進攻を続ける後北条氏は飯沼に築城をはじめ、天正5年(1557)10月、北条氏繁(玉縄城主)は、藤沢より城の建物をつくるため大鋸引の職人をよんでいます。
城主となった氏繁は、盛んに佐竹・下妻方面の動静を報告していますが、翌天正6年(1558)にこの飯沼城中で没し、その後氏舜が城代となりました。
天正18年、豊臣秀吉は小田原城に後北条氏を滅し、この飯沼城も廃城となりました(現地案内板)。
飯沼の中央西岸、猿島台地の縁に逆井城がある。
後北条氏の築城技術の粋を集めて築城された城である。
『関八州古戦録』などによると風間孫右衛門・石塚氏らの忍者集団300人を当城に入れたという記事がある。
忍者による警護体制を物語るものとして注目されるという。
逆井城は平成2・3年度に一部が復元された。
北条氏政は、古河公方足利義氏の本拠地であったこの地方に栗橋城と関宿城・水海城を構築、北条氏照を置き、北方進出の拠点とした(拙者ブログ「戦国残照」を参照されたい)。
後北条氏の拠点となる以前、逆井城には逆井氏を名乗る豪族があったといわれる。
伝承では後北条氏大道寺駿河守が、逆井常繁が守る当城を攻め落城させた、この時、常繁の室とも娘ともいう智御前もしくは智姫が鐘をかぶり、城中の井戸へ身を投げた。
この井戸を「鐘堀り池」と呼び今に残る。
この時常繁は討死、慰霊は常繁寺となって弔われた、というのである(拙者ブログ「八王子合戦と大道寺駿河守政繁」を参照されたい)。
この逆井氏は小山一族と伝え、享徳五年(1456)の大宝八幡宮の鐘銘に「逆井尾張守常宗」と刻されているから、逆井氏は実在していたことになる。
逆井城が築かれた天正五年は後北条氏が常陸・下野勢力と最も激しい戦闘を行った年にあたる。
栗橋城にいた氏照は、五月に「去る十五日以来、結城・山川間へ打入、毎日彼領中を打散され候、此度は長陣を遂げられ……」と芦名盛氏に報告。
当城に氏照軍が駐屯、飯沼の対岸へ押し出している。
尚、西ヶ谷恭弘著『戦国の城 上ー目で見る築城と戦略の全貌』84頁から89頁にイラストと写真等がある。
①二層櫓 は戦国時代末期の時代背景を下に、外観二層の姿を復元したものです。
櫓は武器・食糧の貯蔵と防御とを目的として設けられました。
②井楼矢倉 矢倉は敵の動勢の監視と自軍を把握するためのもので、この役割が発展・大規模化したものが近世城郭の天守閣となります。
③主殿 茨城県牛堀町の大台城遺跡より出土した主殿遺構を参考に建築されたもので、逆井城と同時代に存在していたものです。
④鐘堀り池 天文五年(1536)、ときの逆井城主逆井常繁は、北条軍に敗れました。
この時、城主の奥方(娘ともいわれている)は先祖代々伝わる釣鐘を被ってこの池に飛び込み、自殺したといわれています。
①から④の順に写真をダウンロードしてあります。
新人物往来社刊改訂『関八州古戦録』262頁に「…翌年甲戌(天正二年)の秋、氏政、伊勢備中守貞連(運)に命じて湯田村に縄張させ、砦をかまへて所務方の米穀を悉く取入させ、飯沼のあなたに有し天満天神の社を焼払いて、其地に城を築き、件の兵粮を舟にて城内に運遭なさしめ、風間孫兵衛、石塚藤兵衛に軽卒三百差副て、是を守らしむ。
…」とある。
逆井城が砦の頃の時か。
名前 |
逆井城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0297-20-8666 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.1 |
復元された城ですが掘りや説明文などもあります。
広く散歩もできてベンチや管理事務所もあり清掃もされています。