北雁木(きたがんげ)と読みます。
東海道舞坂宿 渡船場跡北雁木 / / .
渡船場跡の雁木。
石畳と石垣が残っていてすばらしい。
しかし駐車場とされているせいで痛みが激しいようである。
ちなみに中雁木と南雁木もあり、それぞれ役割が違っていた。
2021/06/05ここだけ石畳で雰囲気が変わっている駐車はご遠慮と看板があるが思いっきり駐車されている。
かつて浜名湖が舟渡りだった頃の、庶民の為の渡し場跡。
良く整備されている。
東海道歩き旅で立ち寄りました。
いわゆる渡し舟の船着場で、こちらの北雁木は主に大名が使用した場所らしいです。
常夜燈もかつての雰囲気を彷彿とさせます。
磯の香がします。
良いところです。
ここには3回行きました。
最近は、今年の夏に旧東海道を歩く時に通りました。
今でも、燈籠と海へのスロープ(石畳)が残っていますが、昔は対岸迄見えたであろう見通しが、今では目の前の防波堤で見えません。
それが無ければ評価はもっと上がるでしょうが、防波堤は必要なので仕方が無いでしょう。
でも、残っている事が素晴らしいです。
舞阪宿の船着場の跡地です 。
当時のの石畳と石垣がそのまま残されています。
200年以上経った今も変わらぬその姿は当時の面影を強く残しており、この石畳 を当時の大勢の人たちが草履や雪駄で歩いたかと思うと、不思議な気持ちになります。
舞阪宿の船着場の跡地です 。
当時のの石畳と石垣がそのまま残されています。
200年以上経った今も変わらぬその姿は当時の面影を強く残しており、この石畳 を当時の大勢の人たちが草履や雪駄で歩いたかと思うと、不思議な気持ちになります。
北雁木(きたがんげ)と読みます。
江戸時代の船着き場跡。
当時の舞阪宿には三か所の雁木があり、この北雁木は主として大名や幕府の公用人が利用したそうです。
東海道舞阪宿 今切(いまぎれ)渡し場です。
ここから新居関所まで舟で渡ったんですね。
史跡 北雁木(きたがんげ) ここは浜名湖今切渡しの舞坂宿側の渡船場跡で明暦三年(1657)から寛文元年(1661)にかけて構築されました。
その後、江戸時代には災害で幾度か修復されています。
両側の石垣の白い部分は昭和二十八年(1953)の台風で石垣が崩れたため積みなおしされたものです。
雁木とは、階段状になっている船着場のこといいますが、地元では「がんげ」と昔からいっています。
舞坂宿には三ヶ所の渡船場がありましたが、一番南側は主に荷物の積み降ろしをした渡荷場、真ん中は旅人が一番多く利用した主要渡船場で本雁木と呼ばれています。
この北雁木は主に大名や幕府公用役人が利用したところで、往還から幅十間(約十八メートル)の石畳が水際まで敷きつめられています。
浜松市教育委員会。
名前 |
東海道舞坂宿 渡船場跡北雁木 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.8 |
旧東海道の史跡・秋葉山常夜燈探索で訪れ確認しました。
浜松市教育委員会説明板によると当地には三ヶ所の渡船場跡の雁木(ガンゲ)があり当地は江戸時代明暦三年から寛文元年(1657~61)にかけ構築され幾度かの災害の度に修復が行われ現在に至っているとの事であり両岸の色が違っているところは昭和28年台風第7・13号の被害を修復したものだそうです。
往還=旧東海道から幅十間(約18m)で海面まで敷き詰められており現在は保護のため駐車禁止です。
レプリカの常夜燈と歌川広重の東海道五十三次 今切舞阪真景(マイサカ イマギリシンケイ)があります。