外宮、内宮、遷宮がありすごい神社です。
けっこう厳かです。
太々神楽とかで子供たちがお世話になりました。
国指定重要文化財の歴史を感じられる建築物です。
伊勢神宮領の小栗保(御厨)成立。
常陸平氏の小栗氏が内外大神宮を伊勢神宮と同様に祀る。
国指定重要文化財。
正当な神明造本殿二棟を並立させる神殿形式として我が国で現存する最古のもの。
近くに小栗城跡あり。
伊勢神宮直轄の領地だった事もあるなんて凄い神社だと思います。
しっかりとした規模の割に、祭事以外では荒れてる気がします。
鳥居前の池にザリガニが沢山いて和みました。
外宮、内宮、遷宮がありすごい神社です。
神楽もありますが、人の気配無く御朱印いただけませんでした。
御遷殿、内宮本殿、外宮本殿 3棟が国指定重要文化財になっています。
太々神楽の神々の舞の衣装が、カラフルで美しいです。
春と秋に小栗大々神楽が奉納されます。
筑西市で唯一の建造物国指定重要文化財。
名前 |
内外大神宮 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.1 |
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【当社】(ナイゲダイジングウ)は、伝承によると継体天皇年間創建。
社伝によると大同元(806)年に社殿造営と伝わる。
地元では「おしめさま(神明さま)」とも呼ばれ、親しまれている。
【所在地】は、茨城県筑西市小栗1(〒309-1101)。
当宮は、所在地が1番であるのは、明治に入り近代不動産登記制度が導入された際に地元民が当宮を尊崇していたか、役所職員が当宮を小栗地区の中枢と捉えていたかの何れかであると思われる。
きっと両方であると私は考える。
隣地には、「小栗城跡」が存在する。
この城主は、小栗判官のモデルを提供する「小栗氏」である。
同氏は、常陸国唯一の御厨「小栗御厨」の荘官であるので、伊勢神宮から勧請して創建したものが当宮であると思われる。
【創建】は、大同元(806)年である。
【御祭神】は、内宮が主祭神として「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」、相殿神として「天手力男神(アメノタヂカラオノカミ)」、「万幡豊秋津姫命(ヨロヅハタトヨアキツシヒメノミコト)」である。
外宮が主祭神として「豊受大神(トヨウケオオカミ)」、相殿神として「天津彦根火瓊々杵尊」、「天児屋根命(アメノコヤネノミコト)」、「天太玉命(アメノフトタマノミコト)」である。
ここで気付くのは、天児屋根命は中臣(藤原)氏の氏神であり、中臣氏は大宮司(神宮ナンバーワン)として常陸国一之宮の鹿島神宮を支配していたが、武士政権の時代になると、平貞盛流の大掾氏が同宮にまで勢力を伸ばし、同氏の一族鹿島氏が惣大行事(神宮ナンバーツー)としてこれに取って替わった。
鹿島神宮の御船祭の際に勅使が奉幣することになるが、常陸国唯一の御厨である小栗御厨がこの任を務めたようなので、この接点が鹿島氏が惣大行事に就任し世襲することに活用されたのかもしれない。
さらに天太玉命は、忌部氏の氏神であり、四国の阿波国から房総半島南部の安房国に進出し、半島先端に安房国一之宮の「安房(アワ)神社」を同命を御祭神として創建した。
同社の分社であると思われる安房神社が栃木県小山市に建立されている。
安房神社をグーグルマップで検索すると、下総国西部に数社確認できる。
忌部氏は、麻の栽培や機織りなどに長けており、常陸国西部及び下総国西北部の小貝川(別名蚕飼川)や鬼怒川(別名絹川)の流域に進出した。
忌部氏は祭礼氏族であるので、小栗氏との接点とするために相殿神としたのだろうか?。
【御神紋】は、「左三つ巴」である。
この神紋は、一般的である。
何故三つ巴なのかを考えてみれば、内宮外宮ともに主祭神一柱で相殿神2柱で合計すると三柱となり、三つ巴の三つと合致する。
さてここで拝殿前によくある神燈であるが、神燈で灯りを入れる部分を見ると、4面が、全面開放、満月、三日月、そして三つの点で組み合わされているのがほとんどである。
個人的にはこの三点についても三神から来ていると考えている。
左三つ巴の左は神様の性格を表現し、これは「和御魂」と「荒御魂」を何れかを意味するものと考えている。
水は静態では外部環境に影響を及ばさないが、一旦動き出せば田圃に水を張ることができる一面(和御魂)とともに、一旦台風や雷雨のように多量で激流となれば人も家もそして稲をも水流に呑み込んでしまう一面(荒御魂)を有する。
神様はこのような水の如き性格を有するのではないかと日本人は捉えていたのではないだろうか?。
しかし左三つ巴が和御魂と荒御魂のどちらなのかは判断できていない。
神紋は左三つ巴が多いことから前者を表現するのかもしれない。
【太々神楽】宮比講とは、もともと神社の近隣の人々で(太々)講を作り、神社の祭日に神楽(舞)を奉納する集団である。
江戸時代に盛行した伊勢参りとともに、この神楽によるお祓いを受けると伊勢神宮へ参詣する代わりとなる御利益があることから「代(太)神楽」、「太太神楽」と呼ばれた。
寛延4年(1751)山城国愛宕郡三嶋神宮宮司らにより当宮宮司に伝授されました。
その後、伊勢神楽師の指導を受け、小栗三喜が舞に工夫を凝らすなどして十二神楽三十六座を成立させたといわれています。
十二神楽とは12の場面のことで三十六座とはこの12の場面に登場する36柱の神々のことであり、番外に八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治の無言劇がある。
勇壮な舞と融和的な舞とで構成されるとともに、内容は神々の功績を称え、平穏な自然と作物の豊穣を祈り、悪を払い幸福を祈願する神楽である。
毎年、春4月21日・秋11月10日(直前の日曜日)の神社の例大祭に境内の神楽殿において神楽舞が奉納される。
当宮の神楽が、当宮西方の「樋口雷神社」の祭礼においても執り行われる。
このことが同社を参拝した際に疑問に思っていたが、今回当宮を調べてみて氷解できた。
前述の宮比講が形成されていたと推察できる。
なお同講が下野国南部に伝わり、佐野や足利でも太々神楽が例祭で奉納されていたようだ。
【国指定】重要文化財として、「内宮本殿」、「外宮本殿」及び「御遷殿」の三つが存在する。
両本殿は、一体的(附(ツケタリ))に御門も文化財に含まれる。
御神体を大切にするために玉垣を設けるが門もこの一部として重要な要素なのであろう。
御遷殿は「遷宮(ウツシミヤ)」これらの建造者が地元の業者であることが一つの驚きである。
一般的には奈良・京都等の宮大工を呼んで施工するのだろう。
しかし、当地には建立者の要望する規格を達成できる建築施工能力が存したから行えたのであろう!。
【御朱印】は、未確認である。
【接道】は、国道50号線の「門井」信号機から県道つくば真岡(45号)線で北上し、案内標識で小栗市街方向にY字路信号機を左に入り、道なりに進み左側に内外大神宮本殿・御遷殿の案内標識に従いY字路を左に入り、道なりに進むと、右手に内外大神宮の鳥居が見えてくる。
【駐車場】は、境内地で参道の左側に広い更地があるので、ここに停めるのが第一である。
また鳥居の前に車数台分の駐車スペースがあるので、ここから鳥居前の神橋を渡って進むことができる。
【トイレ】は、社務所が拝殿の右手に立っており、この建物に参拝者が利用できるトイレが整備されている。
管理状態も良いので使用に支障は無い。
(訪問日令和5年4月1日(土))