下野宇都宮氏の累代の墓です。
宇都宮氏が改易された後、水戸藩の重臣となってからも墓所は変わらず、ずっと続いてきたという中々凄いスポット。
累代、どの墓石も簡素。
にも拘らず整然と並んでおり、逆に凄味がある。
地蔵院、綱神社に続き、こちらも何かの創作物に出てきそうな異世界感が漂うところだった。
どれが誰の墓かは、実はわかっていないものもあるようだ。
33代、大正時代の方の最後の墓碑のみ、かなり新しく、苔むしてもいなかった。
礎石はそうでもなさそうだったが、上物は最近作ったのかもしれない。
宇都宮氏が水戸に移ったのちも、家臣の一部は墓守としてこの地に残り、帰農したものも多いようなことが説明文にかかれていた。
周りの民家の方々は、その子孫と言うことになるのだろうか。
宇都宮市ではなく、益子町に宇都宮家の墓所があるのには理由があります。
宇都宮家の三代目当主の朝綱さんが地蔵院に隠棲し、その時にこの地を墓所とすると宣言し、なんと大正時代まで33代まで埋葬されています。
すごい歴史ですね。
何度か訪れている宇都宮家の墓、宇都宮城主の歴代の墓、城主にしては墓石が小さいと思うが歴代の墓が整然と並び長い歴史の中で墓石主の名前までわかっている。
消えそうな名前もあるので、保存をお願いしたいものです。
何度か訪れている宇都宮家の墓、宇都宮城主の歴代の墓、城主にしては墓石が小さいと思うが歴代の墓が整然と並び長い歴史の中で墓石主の名前までわかっている。
消えそうな名前もあるので、保存をお願いしたいものです。
名前 |
宇都宮家の墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.tochigi-edu.ed.jp/center/bunkazai/bunkazai/list/950.htm |
評価 |
4.6 |
前にクチコミを残されてる山田様と黒子様はおそらく現地の方でしょうか。
この墓所を代々守って来られたお家の方と拝察します。
その昔宇都宮氏の家臣で、山田氏という一族が宇都宮の北部に城館を築き住んでいたのですが、室町時代後期に合戦に敗れて居館を追われ、落ち延びる途中に一部は黒子と苗字を変え、この上大羽の地に住み着いたといいます。
黒子家はその後綱明神の神主なども務めながら(幕末まで)、現代まで代々宇都宮家墓所を守って来られたのでございます。
私も宇都宮氏家臣団の子孫の一人として、この場を借りまして上大羽の方々に厚い感謝と労いを申し上げたいと思います。