城跡は…、神社跡もある(祈願神社?
ちゃんと整備すれば雰囲気の良い場所になるでしょうに、なんだか勿体無いですね。
藤原秀郷が平将門討伐のために築いた三館(上館·中館·下館)のうち上館にあたるとされています。
天正14年(1545年)に下館城主の水谷正村が宇都宮氏の来襲に備えて築城しました。
下館城の支城になります。
城の構成としては、現在公園となっている二の丸、その北側に竹藪が生い茂る本丸、本丸と二の丸の西側に別の郭があったようなつくりでしょうか。
※公園部分が本丸とも言われています。
二の丸北側に本丸と挟む形で大きな空堀が確認できます。
また、土塁もよく残っています。
二の丸東側には稲荷神社(八幡神社かも)があります。
鳥居とキツネ様がいますが祠はありません。
ちゃんと手入れしないで大丈夫でしょうか??農業の神様よね。
大事にしましょう。
あまり手入れが行き届いてなくて寂しげな公園になっています。
しかし、なんだか荒々しい力強さを感じるのです。
荒城の儚さと力強さがある城跡でした。
郭周りに土塁が残存、空壕は未整備。
栃木県真岡市に接し、東に勤行川が流れる台地上に建つ。
筑西市樋口の城山一帯が城域で、往時は二宮町の台地を含み大規模な城下を構成していた。
二の丸跡が公園となっており、それを囲むように2つの曲輪が残る。
空堀、土塁のほか、現在は用水路となっている水堀など多くの遺構が現存している。
城跡は…、神社跡もある(祈願神社?)がもっと大切にしないと街にバチがあたるぞ!
看板で位置を確認するとイマイチ城のどの場所になるのか把握出来なかったので、東側に下りてみました。
東側は10mくらい低く、以前は川で二重に囲まれていたようです。
今度は南に行きお寺から西側に行くと急激に登ります。
再び城の中心に向かって行くと東側に深く広い堀、西側に土塁があります。
中心部はコの字型に堀が巡らされ、北側にも曲輪があります。
よって結構大きい台地に載った城だと分かりました。
現在地と比較できる図と遺構を示す看板があると、より見学し易く城も把握し易くなると思うのですが。
ちょっと気味がわるい。
あまり整備されていないので残念に思うところがありました😢
余りに管理されてなくて😢ガッカリです。
荒れ放題とまでは言わないが、城跡として残そうと真岡市は思ってなさそうで情けない。
昔話を聞いたけど、城内にお稲荷さんがあって凄い霊力があったらしいが今は社はあるがぼろぼろ⛩️は落ち🐺狐だけ両側にいたよ。
県指定史跡ですが訪れる人も少なく本丸の神社?らしきものを見ると何か寂しい気持ちになります。
城跡の近くに久下田駅が在る。
城域だったと思われる一部を線路が貫いている。
城跡一帯は殆ど藪で、それなりの装備が無いと危険である。
一部は民家の敷地・農地である。
薮蚊や蜂等がいる夏から秋はお薦めしない。
名前 |
久下田城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0296-22-0183 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.0 |
下館(下館城)中舘(伊佐城)と上館の三館と言われる上館の城跡。
史実によると西暦940年藤原秀郷(俵藤太)が平将門の乱を平定するため築いたとされる。
此処から真南に70キロ程の千葉県の手賀沼の南当時の下総に、平将門を祭神として祀った将門神社が鎮座している。
この城跡へのアクセスは久下田駅から歩いて15分ほど歩いた駅の反対側の畑の中の森の中にある。
あまり手入れはされておらず看板と石碑、社があるだけ。
3つの城のあった立地条件が興味深く行ってみる価値がある。
南北に流れる五行川の右岸の高台に位置している。
なお、下館の城址は下館駅から北へ20分ほど歩いた処にある。
中舘(伊佐城)の城址は下館城址から北に行った処にある。
三箇所訪れると興味がより深まる。
添付した3枚の写真は千葉県柏市岩井の手賀沼のほとりに鎮座する将門神社。