南に延びる尾根筋に南城がある複合城砦です。
中央に本城(東城)、北側の谷津を挟んで西城(竜貝城)、南に延びる尾根筋に南城がある複合城砦です。
鹿島神社の鳥居から急な坂道を登って行くと赤い鳥居が見え、鹿島神社のあるⅡ郭となります。
ネットによるとここまでは容易に来れるが、これから先は藪だらけと書いてあったので覚悟して行くことにしました。
所が主郭への路は綺麗に整備され、主郭まで何の障害もなく行くことが出来、主郭へは新しい木の階段が設置され、上も木が切り倒されて平坦な地形がよく見えます。
又順路を示す標識も至る所にあります。
この城には余り期待していなかったのですが、良い意味で予想を裏切られたと言う感じで、儲けものでした。
これも遺構を壊さず整備して頂いたお蔭と、地元の皆さんのご努力に感謝、感謝です。
駐車場から主郭まで10分。
(2014年登城)
城跡は標高70メートル程の丘陵に築かれていて、頂上に鹿島神社が鎮座し参道を使って登城します。
駐車場もあり、説明板も多数設置された、山城好きな人には楽しめる城跡です。
名門 佐竹一族の城だけあって、見事な縄張でした。
空堀が随所に見られ、自然の谷を切削した切岸はまさに難攻不落。
4つの部分からなる大きな城です。
久米城は、東の城・西の城・南の出城・北の出城の4区画から構成されていて、一通り見学するのに1時間半程かかりました。
遊歩道がしっかりと整備されていて、順路の案内板もあるので迷うことはなかったです。
(ありがたいことです。
👍)入口は2ヶ所(多分💦)あり、駐車場には縄張り図が用意されていたので充分楽しむことが出来ました。
常陸太田駅から歩いて1時間20分ほどでした。
登城口の近くにある駐車場には縄張図が置いてあるので、これを入手してからまわるのがよいかと思います。
佐竹北家の居城として知られているところです。
かなり広大な城跡でびっくりしました。
久米城は佐竹義治の四男で、佐竹義信を祖とする佐竹北家の居城として知られます。
佐竹北家は「北殿」と呼ばれ、宗家の補佐をつとめました。
もともとは小野崎氏の一族である久米氏の居城でしたが、戦国時代初期、佐竹氏は一族でもある山入城主・山入氏と対立しており(山入の乱、山入一揆)、義治はその攻撃に備えて久米氏を部垂城へ移し、子の又三郎義武(久米義武)を城主にしました。
1478年(文明10年)11月には山入義知に攻撃され、義武は戦死しますが、翌12月に義治は城を奪還しています。
その後、義武の弟の義信を城主としました。
1602年(慶長7年)、佐竹氏の秋田転封に従って廃城となりましたが、佐竹北家は角館を治めています。
現在城址には土塁や虎口のほか、堀切で遮断された曲輪群などの遺構を確認することができます。
佐竹氏の家臣、小野崎系久米氏の居城。
佐竹宗家と対立する山入氏に備えたが、山入氏に攻撃され落城。
後に奪還。
佐竹氏の出羽移封に伴い、廃城となる。
遺構がとても良く残る城跡。
至る所に案内があり、迷う事なく散策できる。
少し歩く必要が有ります。
行っても特に何もありませんけど。
鹿島神社の参道口からの段切帯曲輪の連続、深いV字谷、南の出城の南の二重堀切、散策可能範囲も広く、見応えも充分です。
さすが、佐竹北家の本拠だった城です。
私は鹿島神社参道口付近の駐車場に車を止め、鳥居をくぐって登ったのですか、そこから300m程南の正念寺にも、駐車スペースと登山口が在るそうです。
山道がボランティアの手で整備され、歩きやすいです。
佐竹氏の山城!
保存会の皆さんかな、たくさんの案内板ありがとう。
名前 |
久米城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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坂が急で登り降りが辛かった。
山全体が城だったみたいで、結構大きそうでした。
本城しか行きませんでしたが、東、西、南に出城のようなものがあるみたいです。