のちに片桐且元とともに秀頼の守り役を勤めた。
秀吉と同郷とのことですが、本当に隣です。
小出播磨守秀政(一五四0~一六0四年)は、秀吉と同郷の出身で、和泉国岸和田三万石を領せられ、のちに片桐且元とともに秀頼の守り役を勤めた。
長子吉政は、但馬国出石の城主となり、関ケ原合戦には東軍に与した細川幽斎の守る丹後国田辺城の攻撃に参加した。
このため、本来ならば戦後に処罰されるはずであったが、次子秀家を東軍につかせ、戦後は秀家の活躍により小出氏は所領を案堵されています。
慶長9年に没す。
享年65。
法名は本光院陽雲日政大居士。
小出秀政の実家。
公園内に、石碑が残るのみ。
名前 |
小出秀政宅跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
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