笠寺西門から入ると右側に有ります。
徳川家康人質交換記念碑 / / .
竹千代(徳川家康の幼名)は1547年(天文16年)、捕らわれの身となった。
1549年(天文18年)11月9日の人質交換まで、織田信秀(信長の父)の保護のもと、最初は熱田の加藤図書順盛のところに、ついで万松寺で暮らしていました。
人質交換が行われた場所がこの笠寺観音(笠覆寺)でした。
その記念碑が笠寺観音の一角に建てられています。
⭐️1547年家康幼少期/竹千代幽居の地、熱田羽城「加藤図書助屋敷跡」に訪問後に引き続き、竹千代が1549年尾張の国から開放された地「笠寺観音」を訪問🚶⭐️1549年今川氏の軍師「太原雪斎」大将とする2万が三河への織田方前線基地「安祥城」攻撃攻略、織田信秀の庶長子/織田信広捕まる、そして竹千代との交換交渉成立、人質交換の場は目の前が東海道の「笠寺観音」‼️
石碑には説明文が彫られていますが、名古屋市の説明板を建てて欲しいです。
天下を取った徳川家康は幼少期から苦労したんですね。
そんな苦労人が故に、織田、豊臣の時代を経てついに天下をゲットできたんだろうな。
織田の人質になっていた竹千代と今川に捕らえられた信長の兄・織田信広の人質交換が行われたのがこの笠寺です。
その碑がこれになります。
祭り時は前にお店が建つため要注意。
2020.02.28訪問 織田家に捕らえられた竹千代(当時六才)と、今川家が捕らえた織田信広(織田信長の異母兄)の人質交換がここで行われました。
それは非常に印象的な木構造です。
寺院の敷地全体はよく管理されています。
注意のレベルと細部への注意は素晴らしいです。
訪問するのに最適な場所でした。
(原文)It is a very impressive wooden structure. The whole temple grounds is well maintained. The level of care and attention to detail is great. It was a nice place to visit.
家康の歴史的な史跡です。
笠寺西門から入ると右側に有ります。
名前 |
徳川家康人質交換記念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
6の市でたまに訪れる笠寺観音ですが、まさかの家康公の人質交換の地だったとは驚きです。
地元民の母が得意気に教えてくれました😂