紫陽花も綺麗ですが、紅葉も綺麗です。
那珂川の左岸にある大関氏の城。
主郭を中心として南北に2郭と3郭を配し、土塁や空堀で守りを固めていますが、その堀の深いこと深いこと!駅から遠いので車無しだとバスで訪れることになりますが、それでも一見の価値ありです♪
西那須野駅からバスで上前田まで。
そこから歩きました。
20分ぐらい歩きます。
バスの本数が少ないので、帰る時間には注意しておく必要があります。
城跡は公園として整備されていて、入口の隣に大きな駐車場もあります。
丘陵地の頂にあり東側は崖、残りの三方は大きな掘て防御しています。
戦国時代から江戸時代を通して利用されたとても長い歴史を持つ名城です。
模擬天守閣などの派手な見せ物はありませんが土塁、堀切はしっかり残っています。
こういう風に整備すると、城の構造もわかるし紫陽花も綺麗で観光のためには一番良いんじゃないかと思いました。
虎口の構造なども良く残っていて見ごたえあります。
那須氏家臣、大関高増が黒羽城を築き、白旗城から移った。
関ケ原の戦いでは大関氏は東軍に与し、会津の上杉氏に備える為に大改修を行う。
江戸時代では立藩から廃藩まで一貫して大関氏が治めた。
遺構は堀切、空堀、水堀、土塁、郭等が良好に残されている。
紫陽花が有名ですが桜も綺麗でした。
紫陽花が綺麗でした。
今年は花が早いと思い、紫陽花祭りの初日に来ましたが、少し早やかった。
あと数日すると見ごろだったんだろうな。
紫陽花のハートを見つけました。
感動。
皆さんも見つけてみてください。
体育館の前から本丸跡の能楽堂裏の駐車場へ行ける。
黒羽城は、西は那珂川とそれに沿った崖に面し、東には松葉川が流れる丘陵の上に築かれ、本丸、中の丸、北の丸からなる内城を三の丸が囲むように配置された。
黒羽城の起源は、1576年(天正4年)に大関高増が白旗城から本拠を遷した事から始まった。
1590年(天正18年)の小田原征伐の際、大関氏の当主である高増は、弟である大田原氏の当主大田原綱清の息子大田原晴清と共にいち早く参陣して所領を安堵(1万3000石)された。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いにおいて大関氏は東軍に与したので、戦後に徳川家康から加増されて1万9200石の大名となった。
また、関ヶ原の戦いのとき、徳川家康が会津の上杉景勝に対する備えとして大規模な改修が行われた。
1664年(寛文4年)に江戸幕府4代将軍徳川家綱からの領知朱印状によって、大関氏の石高は1万8000石に確定となり幕末まで変更はなかった。
1689年(元禄2年)に、松尾芭蕉が奥の細道の旅行中に4月3日から4月16日まで最長の14日間、城下に滞在した。
江戸時代を通じ、関東では珍しく外様大名の大関氏の支配は続いた。
1871年(明治4年)、廃藩置県により廃城となった。
黒羽城跡は現在、黒羽城址公園となっていて空堀・土塁などが良好な状態で保存されている。
三の丸には黒羽芭蕉の館がある。
「市指定有形文化財(歴史資料)」園内にはソメイヨシノを中心に約100本の桜が植えられ、見事なお花見が楽しめます。
例年4月の上旬から2週間「芭蕉の里くろばね桜祭り」が行われています。
期間中は、ライトアップが行われ夜桜も楽しめます。
さらに桜の見所といえるのが、本丸内のソメイヨシノと芭蕉の広場のシダレザクラです。
また、黒羽城址公園は約6000株植えられている紫陽花が有名で、多くの観光客が訪れます。
紫陽花も綺麗ですが、紅葉も綺麗です。
巨大な空堀と堀切は見所です。
名前 |
黒羽城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0287-23-8711 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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多くの空堀や水堀、土塁からなる複郭の山城です。
本丸跡・二の丸跡(駐車場)・会所跡・三の丸跡(芭蕉の館)等が残り、本丸周辺の堀や土塁も比較的良い状態で残っています🥷