芭蕉の里という風情のある場所でした。
不思議な空気感の場所です。
敷地内には最近では数を減らしたハグロトンボが大量に繁殖しており、この場所だけ異世界感があります。
あと境内の周りには大量の蟻地獄の穴がありますので、集合体恐怖症の方は注意した方が良いかもしれません。
人もいないので静かな場所が好きな方は良いのではないでしょうか。
宇迦之御魂神様と玉藻の前様をお祭りしている神社境内には人もおらず、蝉の声だけが聞こえる神秘的な場所でした。
何度でも訪れたいと思える程居心地がとにかく良かった。
お盆に行きました。
参拝客は誰もおらず静かで神秘的、油揚げが供えてあったりして雰囲気抜群でした。
プレイしてるゲームのレアキャラにちょうど玉藻前が出てたので、ここでガチャ引いてみたけど取れなかったw
玉藻稲荷神社は、その縁起にまつわる伝説「九尾の狐」を伝える神社としても有名です。
昔、狐の化身でありながらもその麗美な姿のため、帝にたいへん寵愛された玉藻の前という美女がいました。
しかし、帝が病気の折の祈祷でその正体をあらわにした九尾の狐は、この地に逃げ込み、蝉に身をかえ桜の木の陰に隠れていたのですが、池(鏡が池)に映った真の姿を見つけられ討たれてしまったということです。
池は枯れていました。
(汗)芭蕉の里くろばねの俳句の投句箱があります。
とても、静かな 心穏やかになれる所です。
妖狐としてのイメージが付いていますが元々は、神獸といわれていた玉藻の前(九尾の狐)のパワーをいただきにいらしたら如何でしょうか。
私もお狐様に呼ばれないと、たどり着けないお社の様に感じました。
呉々も、マナーを守っての参拝をお願いします。
〔奥の細道〕の旅で黒羽に滞在した芭蕉は、〔九尾の狐伝説〕の残る 大田原市蜂巣〔玉藻稲荷神社〕を訪ねている。
石段横に芭蕉句碑が建っている。
秣おふ人を枝折の夏野かな 芭蕉 秣は「まぐさ」で、この句には「那須余瀬翠桃を尋て」の前書がある。
翠桃は黒羽藩館代の弟で、芭蕉たちの滞在先。
芭蕉が玉藻稲荷神社を訪れたのは元禄2年(1689)4月12日(現在の5月30日。
奥の細道 第8の段「黒羽」”篠原をわけて玉藻の前の古墳をとふ”とある通り、芭蕉はここを訪れたようである。
玉藻の前(まえ)とは、鳥羽院の寵姫”玉藻の御前(ごぜん)”を指す。
実はこの御前、謡曲「殺生石」(奥の細道第10段は「殺生石・遊行柳」)にあるように、天竺(インド)、震旦(中国)にも現れた野干(九尾狐)で、玉藻の御前に化け、帝を御病気に陥れる。
陰陽道師に正体を見破られ、遠く下野国まで逃げるが、この地で(金丸八幡宮にも書いた)三浦義明、上総広常に射られる。
野干は射られ身体が滅びてなお「なを執心は此野に残って、殺生石となる」と云い、那須の地で有毒気体を噴出し多くの生命を奪った。
玉藻の御前の古墳は鏡池の西側にあるという。
この神社の御神体が稲荷様であることは、悪意の野干に対して、善意ある霊狐を宿らせたい意図があったのかもしれない。
那須家が弓術に精進したのは、領地で野干を自らの手で射れなかった遺憾の念があったのかもしれない。
当神社は源頼朝が詣でたと聞く。
頼朝挙兵の折り、真っ先に味方となったのは三浦家と佐々木家であった。
三浦義明は緒戦で大庭家他平家軍に攻められ衣笠城で討ち死にする。
頼朝は、三浦義明の武功のあったこの地で忠臣に思いを馳せたのかもしれない。
これは、石橋の合戦の折り、先陣を務め討ち死にした真田(佐那田、岡崎)与一義忠を追慕し、時が下って石橋山の墓地(現在は真田神社<信州真田家とは血筋が違うようである>)を参り、鎌倉に証菩提寺を建立した話を連想させる。
芭蕉の黒羽滞在の足取りは、曾良旅日記によると2日目 館代(城代)訪問3日目 雲巌寺(奥の細道 第9の段)7日目 光明寺10日目 犬追者の跡、玉藻の御前の古墳(此処)11日目金丸八幡宮(那須神社)13日目黒羽を立つ活動していない日は雨だったようです。
本文をお読みになった方は、お気付きかと思いますが、文章の演出上順番が前後しています。
次は雲巌寺 臨済宗の寺院である。
他門の寺院を評価するのは、慮外に当たる懸念が払えない。
言語道断たる所以である。
如何したものか・・・。
建久4年(1193年)、源頼朝が那須野で狩を行なったとき、玉藻稲荷大明神を祀ったと伝えられる。
九尾の狐は那須野に逃げ、この地で蝉の姿に化けて桜の木に止まっていたが、傍の境内の「鏡が池」に狐の姿が映し出され、狐退治の軍勢に見つかって退治されたという。
名前 |
玉藻稲荷神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=1410 |
評価 |
4.1 |
この地に逃げこんだ玉藻前(九尾の狐)が討たれたとの伝承に基づく神社。
討伐軍から逃れるため蝉に身を変えたが、真の姿が映ってしまった鏡が池も境内にあります。
鏡が池は湧き水であり、時期によって水量が変化しているようで干上がって見える時もあるようですが…。
芭蕉も訪れ俳句を詠まれた場所です。
車がなくても那須塩原駅からバスも出ていますよ。