曲輪が比較的よい状態で残っています。
平安時代末期に那須氏が那須地方の守護となった際の最初の居城跡だそうです。
本丸は田圃になってますが西側を除く三面には高さ2-5メートル位の土塁が残っています。
南と北には堀も残っており、特に北側の堀には水も流れています。
南と東には門の跡といわれる土塁の切れ目があります。
北西の櫓台(?)には稲荷神社が祀られてました。
構造は単純ですが、平安時代から残っていると考えると感慨深いです。
曲輪が比較的よい状態で残っています。
2019.5.14 行ってみました。
マップで確認したところ、何と先日も通った所、あそこか?と驚きましたが、行って見て、きっちり土塁やら堀やらあって、感動しました。
雰囲気、高根沢町の桑窪城に似ている感じがします。
R293扇の館そば処の駐車場奥から鳥居を潜っていくのがいいでしょう。
堀の深さ、土塁の高さ、廓の広さがよくわかります。
那須氏の祖、藤原資家の築城と伝わる。
後裔の那須資隆が高館城に移ると廃城となった。
歴史がある城の中では良く旧状を留めている。
平安時代に遡る城跡と聞き、珍しさに期待して訪問した。
実際には様々な議論があって、平安時代説は怪しいようだ。
しかし郭内が田圃なことを除けば遺構の状態は良い。
駐車場の案内が無くわかりにくいが、北側の飲食店の駐車場が城跡の駐車場も兼ねている。
また、観光地ではないので藪や草むらが多く、時期によっては虫に悩まされる。
こんなにハッキリとした正方形の屋敷跡は無い!
なんといっても、国指定の文化財ですから、私が管理してます❗さくらは、終わっちゃいました❗町所有じゃないですよ。
個人所有です‼️那須与一は、那珂川町小川が産まれたところと、なっております‼️この土地買いたい人がいたら、ご連絡下さい❗
土塁の形跡はあるが一部は削り取られたようになっている。
土塁の内側には二面の水田。
国指定の文化財が個人所有の土地になってるのはどうなんでしょうか?
土塁内は水田(2面)になっています。
土塁上に神田稲荷。
道路向かいのパチンコ屋が神田城という名前なので紛らわしい。
土塁と堀はちゃんと残っていますよ。
名前 |
那須神田城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
北側の赤い鳥居をくぐり抜け上ると御稲荷様があります。