歴史を響かせる岩槻の時の鐘。
時の鐘の特徴
かつて岩槻城下に時を知らせていた由緒ある鐘です。
歴史ある鐘楼は小高い塚の上に静かに佇んでいます。
巨木と共に閑静な住宅街に隠れた貴重な文化遺産です。
6時、正午、18時の3回一度改鋳したものの川越より古く由緒あるようです。
保守の街の様でも、昭和期の革新系市長時代の再開発で城下町の小江戸・蔵の街風情が徐々に消え、今になってレトロブームに乗り切れなくなった感じはします。
その中でも再開発から逃れた場所です。
大きなイチョウの木とともに住宅街の中にひっそりとありました。
下から見上た時の鐘は良い感じでした✨
かつて岩槻城下に時を知らせていたという時の鐘。
現在も変わらぬ姿で街中に建っています。
隣にそびえる銀杏の巨木とともに、遠い昔をしのばせるような美しい姿です。
他の方のレビューによると、今でも一日3回鐘を鳴らしているとのこと!音が聞きたい場合は時間を合わせていった方が良さそうです(^^)鐘のところに行く扉は鍵が閉まっていていけませんでした。
あと、近くにある銀杏の木はとても立派です!また、周りは普通の住宅でした💦
川越にある時の鐘は結構有名ですが、岩槻の時の鐘も歴史があり歴史ある建造物です。
人は誰もいませんでしたが、周辺は宿場町の名残があり古い建物がたくさんありました。
昔の時刻を知らせていたという時の鐘。
物凄く大きなイチョウの木が目の前に立っていて圧巻です。
彩の実という蕎麦屋の前が入り口です。
岩槻藩藩主阿部正春が建立した鐘で一日三回鳴らしたそうです。
敷地内には大きな銀杏の木もありますが鐘の周辺は雑草が生えていて管理がされてない感じがします。
閑静な住宅街に忽然と建っていました。
かつて「岩槻に過ぎたるもの」と称された割には拍子抜けする出会いとなりましたが、元々はこの辺りは武家屋敷が建ち並ぶ武家地だったそうで、庶民が住む町家との間に建っていた様です。
鐘は享保5年(1720年)に改鋳されたもので、さいたま市指定有形文化財。
鐘楼は嘉永6年(1853年)に建て直されたものです。
今でも1日に3回鐘が鳴らされて時を告げるそうで、生憎その瞬間には立ち会えませんでしたが・・・なお、この東にある広場は、実は私有地。
地主様の厚意でコミュニティスペースとなっている場所です。
ありがたや、ありがたや。
東武アーバンパークライン(野田線)「岩槻駅」東口より徒歩10分ほど。
岩槻駅から県道2号線に入り、まっすぐいき、「渋江交差点」を右折するとちょっと進むと左側にあります。
とてもわかりずらいですが、ひっそり案内板がありますので見逃さないようにしてください。
岩槻城の鐘楼で、寛文11年(1671年)当時の岩槻城主阿部正春が渋江口に設置したようです。
現在でも、毎日、朝夕6時と正午の3回、美しい音色を響かせているようですね。
尚、時の鐘の内部には入れません。
ちょっとした石の椅子がある小さな公園程度です。
写真を撮っておしまいです。
時の鐘の隣にある銀杏の木はとても立派ですね!(秋にくると良いのかも)但し、ここは、住宅地の中にあり、他所のお宅の敷地とものすごい隣接というか入り組んでいるような感じなので、場合によっては生活感が。
となりますのでご注意ください。
アパートと民家に囲まれた小さな空間、それも隣家の作業小屋との境が分からない。
アパートの住人に怪しまれないかとひやひや。
大きなイチョウの古木と、草はらに置かれた休憩用の腰掛けセットが置かれている。
城下町の一つの風景だと偲ぶだけである。
川越の時の鐘に比べるとかなり見劣りします。
川越の時の鐘は、鐘楼としては他にあまり例のない塔のごとき建物が蔵造りの町並みによく映えていますが、こちらは寸詰まりで精緻さにかける凡百の鐘楼が普通の住宅地に埋没しています。
二階のベランダに洗濯物が干されていたりするので、不用意に写真など撮ろうものなら「おまわりさん、あの人です」となりかねません。
かつては岩槻城下の名物であったそうですが、それがこれでは、他にこれといった名所がないのにもうなずけます。
特に不快な思いをしたわけでもないので評価は★二つとしていますが、スルー推奨です。
サイクリングで近くまで行ったので、寄りました。
住宅地の中にある感じです。
時の鐘だけでなく、巨木も見応えがあります。
大通りから少し入ったところにあります。
今でも、一日三回時を告げています。
そばにある大銀杏の木は、明治29年(1896)に岩槻藩主大岡忠光の法要のときに、九条道孝公爵が記念に植樹したものです。
石碑に書いてありました。
場所は分かりにくいですが、西側の道路から入ることができます。
人がいなくて静かに見ることができます。
時の鐘と聞いて、岩槻の時の鐘を思い浮かべる人がいったいどれだけいるだろうか。
岩槻市民(敢えてそう言います)以外は川越の時の鐘を思い浮かべるのだと思います。
江戸時代、同じく城下町として栄えた岩槻と川越のその後歩んだ道のりが、両時の鐘に象徴されているように思います。
この時の鐘も、知る人ぞ知る時の鐘になってしまいました。
観光地として確固たるポジションを築いた川越と、川越に匹敵していた歴史的な遺産を十分活用できずに廃れてさいたま市に吸収されてしまった岩槻。
その差は今や否定しがたいほどになってしまった。
昭和40年代までは市街地にも城跡の土塁が残り、蔵作りの建物も点在していたが、今や見る影も無く、台地と低湿地が織り成す雑木林と水田の風景が産廃施設のヤードに変わっているのを見るたびに何とも言えない感慨がこみあげてきてしまいます。
川越より古くからあると言われる岩槻の鐘。
機械仕掛けだが今も鐘が鳴らされている。
川越の時の鐘のように目立つ存在ではないようですが、江戸の歴史を感じます。
階段を十数段上り、塔ノ周り一周できます。
鐘は鳴っていない様子。
城下町岩槻の数少ない貴重な文化遺産。
川越のものよりもく、一見の価値ありです。
その昔、「岩槻に過ぎたる物が2つある…」と歌われいたうちの一つがこの時の鐘。
ですが、住宅地の中にあるためか、周囲はあまり整備されていません。
さいたま市に吸収された今の岩槻には、まさに過ぎたる物になってしまっています。
ここに限らす、岩槻は城下町として街なかを歩いて見るとなかなか面白い街なのですが、人形の街でしかないのかな?
桜も綺麗に咲いていました。
川越とは違い人もまばらで良かった‼️愛宕神社の雛壇が中止で残念でした。
江戸時代、岩槻城下に時を知らせていた鐘。
歴史を感じさせてくれます。
住宅地にあります。
小高い塚の上に鐘楼があります。
近くに大きな銀杏があり、黄金色の落葉を絨毯の様に敷きつめていました。
とても美しく、暫し、見惚れておりました。
せっかくの名所のハズなのに、見せ方をもっと工夫しなきゃ、時の鐘がかわいそう。
住宅街にひっそりと佇む時の鐘は、鳴らされる事もなくて、寂しそうに見えた。
岩槻のお城の復元とか、観光地として成り立つように工夫した方が良いと思うけどな。
お寺もたくさんあって、風情のある町並みなんですよ。
でも観光客に解放されている感じではなくて閉鎖的なの。
もったいないよね。
もっと、歴史的価値のある町並みを活かすべきだね。
川越のより少し背低いが、鐘がなるのがよく見える。
側に大きな銀杏木と毛れいな梅が満開の木が見えた。
以前はちゃんと鐘を打っていましたが今は自動化しました🍀近隣の方々は毎日なので⁉ありがとうございます。
岩槻にも時の鐘があった。
残念ながら音が聞けなかった。
スマホのアプリでいつでも音が聞けたら良かったのに!朝昼晩と日に3回鳴るそうです。
近所の人の中には煩がる方もいるかも・・・。
江戸時代風の木造の鐘撞堂でなかなか情緒があります。
名前 |
時の鐘 |
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ジャンル |
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住所 |
〒339-0057 埼玉県さいたま市岩槻区本町6丁目2−229 |
関連サイト | |
評価 |
3.5 |
周辺のオススメ

塚の上に建っている。
近くには大きな銀杏の木がある。
紅葉の季節に来てみよう。
近くの古いお宅も魅力的。