薬師堂。
廻りの木が切られ広々と明るくなっている。
七観音(彫刻) 近世になると民間信仰が活発になり、中でも現世利益を願う民衆の願いを聞いて、直ちに救済する仏である観音信仰が盛んに行われた。
しかし、観音は、名称や姿形などが多種多様で「変化の仏」という通り、七観音から三十三観音まであり、民衆の求めにより観音信仰は様々に広がっていった。
民衆にとって西国三十三観音巡拝は容易でなかったので、下総国の木喰上人、相頓は衆生の悲願達成のため、五穀を断ち精進苦行して貞享二年(1685)八観音と千体仏を完成した。
これが挟間田の崇光寺観音であるが、崇光寺は明治初期に廃寺となり、現在の薬師堂内に移された。
江戸中期の寄木造で総金箔仕上げの七観音像は西国三十三観音の代表仏を正確に模索したものである。
算額(民族資料) 明治二十年、一枚の欅大板に柿木沢村の和算家、高橋一良が関流の高等数学を駆使して新しい難問を創作・解説した記念として薬師堂に奉納した。
算額最終期のものである。
氏家町教育委員会 立て看板参照。
名前 |
薬師堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
良い所です❗