たきのお神社と読むそうです。
日光にある「二荒山神社別宮 瀧尾神社」の分社、「たきお」ではなく、「たきのお」と読みます。
本社にある「運試しの鳥居」や」滝尾三本杉」はありません。
以前は欅他樹高の高い杉の木などによる鬱蒼とした雰囲気は、神々しさもありましたが、公民館建設の折りに伐採され、拓かれた場所になりました。
ご祭神は田心姫命(日光女峰山の女神でもあります)で水の神様です。
伝えによれば、創建は西暦1123年、保安4年3月とのこと、下野の国の当主宇都宮宗綱が、当時の平塚村周辺の里正(当時の村長)である田崎助九郎に建立の命を出し建立。
宇都宮宗綱は、日光山の長官、子供が授かるように、日光中宮にあった滝尾権現(たきのおごんげん)に祈願し、跡継ぎの朝綱を授かりました。
喜んだ宗綱が、田崎助九郎に命を出したとのことで、今から900年も前のお話です。
それからは、領内の繁栄と鎮守の神として、今なお崇められています。
この地平塚村(当時)が天領地となったのも日光山との縁からかも知れません。
田心姫は、宗像三女神の一柱で、日本から大陸及び古代朝鮮半島への海上交通の平安を守護する玄界灘の神、要として海北道中の島々(沖津宮・沖ノ島、中津宮・筑前大島、辺津宮・宗像田島)に祀られ、大和朝廷によって古くから重視された神々であり、遣隋使や遣唐使もこの島を目印として渡海しました。
本社である日光山瀧尾神社は、日光二荒山神社の別宮であり、本宮、新宮 (現在の二荒山神社)とともに日光三社 権現の一つです。
日光山瀧尾神社は強力なパワースポットです。
ぜひ一度参詣しましょう。
因みに、近隣にある高竉(高尾)神社のいわれですが、鬼怒川に近いこの地域は土地が低く、そのため昔から洪水が多く発生したことから、その神の怒り(まさに鬼怒る川)を鎮ずめ、水害から土地を守るために建てられました。
それは藤原秀郷の時代の創建(西暦930年頃か)と言われています。
藤原秀郷なる人物は、平将門の乱を平定した者で、伊勢神宮には、秀郷が百足退治に際して龍神から贈られたという太刀が奉納されており、「蜈蚣切」(蜈蚣切丸ともいう)の名としてまた宝刀として、今なお所蔵されているそうです。
一部ウキィペディアから引用しました。
名前 |
瀧尾神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=74358 |
評価 |
3.8 |
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たきのお神社と読むそうです。
日光東照宮にある滝尾神社の支社とのこと。
すごい!むかしむかしのこと、日光男体山の神と赤城山の神が、中禅寺湖の所領をかけて戦った際、二荒山の神の后神である滝尾神社の神が、金の星のある鹿に化身して、岩代国(福島県)と陸奥国(宮城県)の境にある熱借山で狩をしていた弓の名人、男体権現の孫である小野猿丸大夫を迎えに行き加勢をもとめました。
そして、いよいよ二荒山の神は大蛇に、赤城山の神は大百足に化身して戦い、加勢していた猿丸の豪弓の前に大百足は目を射抜かれ退散、戦った地は戦場ヶ原、勝負を決したのが菖蒲ケ浜(勝負)、射抜かれ流れ出た血でできたのが赤沼、勝利の唄を歌ったのが歌ヶ浜(立木観音)、勝利の記念に残されたのが、中禅寺湖で唯一の小島である上野島(こうずけじま)なんだそうです。
他に、男体山の神が白い鹿に化身して、狩り中の猿丸大夫を男体山にまで誘き出し、加勢の上は男体山周辺を狩猟の場に供する約束をした等々諸説あり、そもそも勝ったのも赤城山の神様とする説や、傷ついたムカデの血で山が染まったので赤き山→赤城山のネーミングなんてお話もあります。
それにしても瀧尾神社の神様は女性だったのですね。