境内が広々していてかつ清められている。
メイン通りから1本中に入るためかとても静か禅宗修行道場もあり立ち入り禁止区域あり木々が多く日陰もあって、幾つかあるベンチに会社員風の男性が休憩していたりご近所さん?達がお喋りして寛いでいた他のクチコミにあるように地域猫がいたこのときは一匹だけ陽射しの当たる石段の上に陣取りスヤスヤとイビキをかいて寝てました御朱印が頂けるらしいですがどこにもそれらしい寺務所は分からす…案内板とおりにむかうと木戸が閉まっていた。
日本茶、発祥のお茶の木があった。
建物も大きくて、緑に囲まれていて神秘的でした。
朝の散歩にうってつけです。
お隣のギラついたお寺もありますが、自分はこっちのほうが好みです。
バス通りから1本入っただけなのにとても静かです。
どこまでがお寺の敷地なんだろう?という位に広いので時間に余裕を持って訪れる事をお勧めします。
猫が多いです。
博多のメインストリート大博通りの呉服町辺り、奥の堂バス停からビルの間を抜け、一本裏に入ったところに長い築地塀が続く界隈がある。
この周辺は、中世博多(鎌倉時代頃)の街並みがあったところだという。
その中心が、この聖福寺である。
寺の掲示板によれば、この寺の伽藍配置が、町割りの中心線になったとの事。
現在でも、寺域は広大だが、往時はこの4倍程度あったらしい。
しかし、戦国時代、島津の侵攻やその後の豊臣秀吉の九州征服等の戦乱の後、所謂、太閤町割りの際、現在の広さに縮小された。
さらに、時代は下って、近代、国粋的な結社として勇名をはせた玄洋社の初代社長 平岡浩太郎や、玄洋社つながりか、文官として、太平洋戦争後の極東軍事裁判で唯一、A級戦犯とされた広田弘毅の墓もある。
仏殿には、釈迦、阿弥陀、弥勒の過去、現在、未来を表す仏像が安置されているとの事。
境内に入ってみると、大都会の真ん中である事を忘れる程、森閑として静謐。
月並みであるが、ここでの暫しの休憩で往時を偲び、悠久の歴史的に思いを馳せた。
聖福寺敷地の広さには驚きました‼️博多駅に通じる大通りから一本裏手に入れば都会の喧騒からかけ離れた空間とても静かな場所である。
博多都心にある静謐な空間さすが日本初の禅寺といったところ。
博多塀はちょっとわかりにくい。
都心部にありながら、ここにはなぜか静謐な空気が流れています。
かつては悪そう坊主(腕白小僧のこと)達が住職につかまって座禅させられていたとか。
猫達が我が物顔でふんぞり返って寝そべる様子は、今時珍しい風景でもあります。
頻繁に散歩します。
落ち着く場所です。
猫がよく寝ています。
文句なしの星5つです。
都会の喧騒から逃れて広々とした開放感の中で歴史を感じながらユックリ過ごせる。
ネコチャン一杯います。
博多のど真ん中と思えない程の気持ちいい場所です。
御朱印を貰いに行ったらヤーさんみたいな人が対応されて怖かった!
国指定の史跡で、その広さとたたずまいは、素晴らしい。
もっと観光客がきてもいいのにな?って思いましたね。
日本初のお茶の木とか、へぇ~って感心したりと、訪ねるべきところだと私は思います。
とても落ち着く空間でした。
生きた狛猫を発見しました。
聖福寺は鎌倉時代に創建された日本で初めての禅寺です。
福岡市営地下鉄の祇園駅から近く、西鉄バスの奥の堂というバス停からも近いです。
JR博多駅から承天寺通りを歩いて行くのもオススメです。
御供所通り沿いには勅使門があり、境内は広大な敷地で荘厳な雰囲気です。
境内には立派な山門や無染池もあり、由緒のあるお寺だと感じることが出来ます。
聖福寺はJR博多駅からも近く、観光地としては有名ではないですが、オススメの観光スポットです。
猫もいて、癒しのお寺です。
JR博多駅の御供所通りや承天寺通りには散策スポットとして訪れたい場所です。
帰省の折に安国寺聖福寺にご挨拶に伺いました。
由緒正しき神社仏閣の街、御供所町。
その中でも、聖福寺は素晴らしい古刹です。
日本で最初の禅寺です。
以下は、聖福寺ホームページより抜粋しました。
聖福寺は建久6年(1195年)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝公よりこの地を賜り、栄西禅師を開山として創建された日本最初の禅寺です。
山号を安国山あんこくざん、寺号を聖福至仁禅寺しょうふくしぜんじといいます。
元久元年(1204年)後鳥羽天皇ごとばてんのう(後上皇じょうこう)より、日本で最初の禅寺である「扶桑最初禅窟ふそうさいしょぜんくつ」の勅額を賜りました。
又、栄西禅師は中国(南宋)よりお茶の種子を請来し、茶樹の栽培、喫茶の方法を伝え、その普及に大いに貢献し、後に茶祖と称されました。
栄西禅師が京、栂尾高山寺の明恵上人に茶の種を分けてあげた話は有名な事です。
聖福寺の境内は、創建当初、鎌倉幕府源頼朝公より方八町ほうはっちょう(約900余m四方)を戴き、七堂伽藍しちどうがらんを建立して、丈六じょうろくの釈迦しゃか・弥勒みろく・弥陀みだの三世仏さんせぶつを安置していたと伝えられています。
塔頭たっちゅうも多い時には38院(現在は6院)を数えました。
境内の一部は寺中町を形成していたと言われ、今に残る博多の地名で、普賢堂ふげんどう・中小路しょうふくじ・魚町うおまち・店屋てにや・蓮池はすいけ・西門さいもんなどは当時からのものです。
又、栄西禅師は文治5年(1189)中国(南宋)から持ち帰った菩提樹ぼだいじゅを香椎かしいの文治寺ぶんじじ(後報恩寺ほうおんじ)に植え、後、東大寺鯖木さばきの跡にも建久6年(1195)植え、各地に植えられるようになりました。
室町時代に入って、聖福寺は五山十刹ござんじゅっさつ制度の十刹じゅっさつ第三位だいさんい(後に第二位)に序させられました。
室町幕府の衰退と戦乱により荒廃しますが、天正15年(1587)の太閤町割たいこうまちわりにより寺域も方四町に狭められ、天正17年に第110世耳峰にほう禅師が二度目の再建をし、ほぼ現在の伽藍配置になりました。
境内には勅使門ちょくしもん・山門さんもん・仏殿ぶつでん・方丈ほうじょう・庫裡くり・禅堂ぜんどうなどの禅宗様式の七堂しちどう伽藍がらんが建ち、周りに総門そうもん・開山堂かいさんどう・経蔵きょうぞうや塔頭が建ち並んでいます。
聖福寺は初め建仁寺派けんにんじはに属していましたが、江戸時代に黒田長政くろだながまさ公の命により妙心寺派みょうしんじはに転派しています。
昭和44年(1969)に山内寺院を含め境内一帯が国の史跡に指定されました。
今の福岡市のイメージとは大きく異なる、創建から1000年近く経つ博多の禅寺です。
古来からの国際都市であった博多には、アジア大陸からの学問や文化が流れてきており、古来からの革新的な町であったことが伺えます。
境内は荘厳な雰囲気がするのですが、見えませんが、地理的にはすぐ近くの御笠川の向こうは都市高速が空を切り取っており、時代を飛び越えた空間になっています。
博多の旧市街地はあまり知られているとは言えない場所ですが、山笠の櫛田さんを始めとして、古寺古蹟が御笠川の近くにあるので、是非立ち寄っていただきたい穏やかな場所です。
博多の町の中に広く禅宗の古いお寺、静かで京都を思わせる。
安国山 聖福寺は、大博通りと冷泉通りの交差点から北東に200mほど進むとある臨済宗妙心寺派の寺院です。
JR博多駅から徒歩15分ほど、地下鉄祇園駅からは徒歩6分ほどです。
聖福寺は日本初の禅寺であると同時に、日本茶発祥の地として知られ、博多の貴重な文化財として知られています。
建久6年(1195年)に日本の臨済宗開祖の栄西が南宋より帰国後、宋人が建立した博多の百堂跡にいち早く寺院を創建しました。
これが日本最初の本格的な禅寺であり、禅道場です。
山門には元久元年(1204年)、後鳥羽天皇により贈られた「扶桑最初禅窟」の額が懸かかります。
臨済宗は、宋時代の中国に渡り学んだ栄西(1141年 - 1215年)らによって、鎌倉時代以降に日本に伝えられ、室町時代に足利氏の権勢とともに衰退しました。
しかし、江戸時代になって、「中興の祖」と呼ばれる白隠禅師(1686年 - 1769年)によって臨済宗が再建され、妙心寺派と大徳寺派が勢力を伸ばしました。
白隠も妙心寺派の出です。
妙心寺派はこのほか、愚堂東寔や一糸文守を輩出していて、一方の大徳寺派では、沢庵宗彭が有名です。
妙心寺派は、1337年、関山慧玄により始り、本山は京都・花園の妙心寺です。
末寺3,400余か寺を持つ臨済宗最大の宗派です。
臨済宗のお寺。
日本で最初に建てられた禅寺で広い境内や立派な楼門は当時から崇敬を集めていたことがわかります。
平日だとあまり人がいないので、のんびりしながら境内に住んでいる🐱と遊ぶことが出来ます😀
博多のメインストリートの大博通りを一本入った旧市街、寺町にある鎌倉時代の古刹です。
日本で最初の禅寺です。
開祖栄西禅師が中国から持ち帰ったお茶の樹がここから広まり、お茶の文化が始まったそうです。
広い境内を散策すると、博多駅の近くにあるとは思えない静かさで癒されます。
博多の中心、祇園駅からほど近いところにあります。
鎌倉時期に創建された日本で最初の本格的な禅寺です。
格式の高さを示す勅使門がありますが、ここからは入れません。
総門を入ると、正面に鐘楼があり、左手には無染池や立派な山門があり、その先には仏殿があります。
秋になると紅葉が奇麗だと思います。
由緒のある非常に荘厳な雰囲気のお寺でした。
門を潜るまでは博多区のこんな街中にとても厳かで落ち着く雰囲気なお寺があるとは思ってもみませんでした。
山門、本堂、寺務所、庭も綺麗で暫く散策しても飽きませんでした。
奥の寺務所で御朱印を頂きました。
福岡市内には、たくさんの寺院が有りますが、3月のこの時期、自分の中で一番に好きなお寺です。
このお寺の近くに実家があったので、高校卒業まで18年を過ごしました。
このお寺は数え切れない位行ったかな。
大晦日には除夜の鐘をつきに行ったこともあります。
歴史のある由緒あるお寺です。
昔は、お寺の境内に聖福病院もあったなぁ。
とても懐かしいです。
境内は、ここが博多?ってとこでした。
静かで雰囲気のあるとこでした。
ひとりで過ごしたいときやぼんやりしたいときはいいです。
栄西創建の臨済禅寺。
ブラタモリでも紹介されていて知り訪問。
櫛田神社からまっすぐ大博通り方向へ行くと着きます。
何も予備知識なく来てみてびっくり。
1195年源頼朝開基。
日本初の禅宗寺院。
後鳥羽上皇から「扶桑最初禅窟」の号を賜ったそうです。
ここは国指定史跡にも指定され1度は参拝する価値あり。
福岡出身の首相廣田弘毅の墓もあり、普段は参拝厳禁の禅道場の更に奥に墓があるのですが、ご厚意で特別に拝ませて頂きました。
境内が広々していてかつ清められている。
本尊も迫力がある。
禅寺とは如何なるものかを具象化したお寺。
平成29年6月23日拝観聖福寺は山号を安国山(通称安山あんざん)、寺号を聖福至仁禅寺しょうふくしじんぜんじといいます。
開山は千光祖師明庵栄西禅師せんこうそしみんなんようさいぜんじです。
建久6年1195に源頼朝公より、この地を賜り、頼朝公を開基として創建された日本で最初の禅寺です。
また後鳥羽上皇より「扶桑最初禅窟」(山門の楼上に提示)の号を賜っています。
栄西ようさい禅師は、 この寺を建てるまでに二度宋に渡り、二度目に渡宋した折に中国の虚庵きあん禅師より印可を得、臨済宗黄龍派りんざいしゅうおうりょうは の法を継承して建久2年1192に帰朝しました。
宋の孝宗こうそう皇帝より「千光せんこう祖師」の号を賜っています。
聖福寺以外に京都に建仁寺、鎌倉に寿福寺などの禅院を造営し、 『輿禅護国論』など多数の著書を著して禅の宣揚に努めるとともに、 香椎に建久報恩寺を建てて日本で初めての菩薩戒による布薩会を行いました。
また栄西禅師は宋(中国)より「茶」を持ち帰り、当寺境内や背振山などに植えて、 各地に広めました。
同時に宋風の喫茶も伝え『喫茶養生記』を著して茶文化の先導的な役割を果たしています。
後に「茶祖」と呼ばれる所以です。
栄西禅師の没後、室町時代に入って、聖福寺は五山十刹ごさんじゅっさつ 制度の十刹第三位(後に第二位)に序せられ大いに興隆しました。
初め建仁寺派に属し、江戸時代に、 黒田長政公の命により妙心寺派に転派していますが、聞創以来八百余年 現在の住持である第133代白峰老師に至るまで連綿と法灯が護られ、禅の専門道場として厳しい修行が行われています。
聖福寺の境内地は、創建当初、鎌倉幕府源碩朝公より方八町を戴き(「栄西ロ上書ようさいごんじょうしょ」)、七堂伽藍を建立して、丈六の釈迦・弥勒・弥陀の三尊を安置していたと伝えられています。
塔頭も三八院(現在は六院)を数えました。
その後数度の羅災を経ながらも.その都度再建がなされています。
かつて境内地の一部は寺中町じちゅうまちを形成していたと言われ、「安山借屋牒あんざんしゃくやちょう」 1543によれば当駄312人の借屋人がいたと記載されています。
今に残る普賢堂・中小路・魚町・店屋てんや・蓮池はすいけ・西門さいもんなどの博多の地名は当時の寺中町からのものです。
天正15年1587の太閤町割により寺域も方四町狭められ、ほぼ現在の伽藍の配置になり、 山門、仏殿、方丈、庫裡、禅堂などの禅宗様式の七堂伽藍が立ち、周りに勅使門、開山堂、護聖院しょうごいん、 経蔵や塔頭が立ち並んでいます。
昭和44年1969に境内一帯が国の史跡に指定されています。
栄画禅師以来の歴代の住職の中で最も有名なのが、『博多の仙厓さん』として知られている 僊厓義梵禅師せんがいぎぼんぜんし1750~1837です。
寛政元年1789に聖福寺の住職になり、文化8年1811に隠居して稜、虚白院きょはくいんで酒脱な禅画を描き、機知に富んだ詩句を用いた教えを説いて、人々に親しまれました。
聖福寺は次の寺院と安山一派をなしている。
あまりに広くてびっくりまします。
御朱印を頂く間、ご本尊を拝ませて頂きました。
ゆっくりとお経をあげさせて頂き、自分の持っている朱印帳の中のお寺のお話等、楽しく過ごさせて頂きました。
日本最古の禅寺。
臨済宗の始祖・栄西によって1195年に創建、山門には後鳥羽上皇の勅額といわれる扶桑最初禅窟と記されている。
扶桑とは日本の意味で日本で最初に建てられた禅寺。
栄西が宋から戻って源頼朝に願い出て博多に寺を建立した。
持ち帰ったお茶の種子をまいたのもこの境内。
これが京都に伝わり宇治茶となる。
栄西はこの後建仁寺を建立する。
訪問回数がダントツなのが聖福寺である。
所用で近くを通ると必ず聖福寺の仏殿前の階段で一休みする。
春夏秋冬季節感が味わえる場所である。
観光客と思しき人たちの姿もよく見かける。
春はしだれ桜が数は少ないが美しい。
夏は緑が楽しめる。
境内にある護聖院[開山堂]も見ものである。
名前 |
聖福寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
092-291-0775 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
加藤司書の墓はこの寺にはなかったが、歴史の重みと禅の世界を知らしめる名刹であった。
見どころ満載。
そして何より拝観料がないのがとてもよかった。