開山は浄土宗海元寺(現:博多区中呉服町)9世の乗蓮...
開創は元和年間1615-1623、開山は浄土宗海元寺(現:博多区中呉服町)9世の乗蓮社大誉上人。
この上人が自分の隠居寺として須崎のこの地に創った寺で、海元寺の末寺であった。
住職の話では、大誉上人は黒田家のお抱え大工の岩崎家の出で、先祖は、黒田長政公が筑前移封のときに中津から伴われて来た。
今も多福寺の檀家で、岩崎建設はその子孫の会社という。
多福寺の開創当時の本尊は戦災で焼失し、現在の本尊の阿弥陀如来坐像は昭和45年1970現本堂再建のときに、別府の亀川から本寺に本尊として移ってこられた仏様で、室町時代初期の作と伝えられる。
元々は大分国東半島の阿弥陀堂のご本尊といわれ、亀川の信行寺1,が預かっておられたものである。
開創は元和年間1615-1623、開山は浄土宗海元寺(現:博多区中呉服町)9世の乗蓮社大誉上人。
この上人が自分の隠居寺として須崎のこの地に創った寺で、海元寺の末寺であった。
住職の話では、大誉上人は黒田家のお抱え大工の岩崎家の出で、先祖は、黒田長政公が筑前移封のときに中津から伴われて来た。
今も多福寺の檀家で、岩崎建設はその子孫の会社という。
多福寺の開創当時の本尊は戦災で焼失し、現在の本尊の阿弥陀如来坐像は昭和45年1970現本堂再建のときに、別府の亀川から本寺に本尊として移ってこられた仏様で、室町時代初期の作と伝えられる。
元々は大分国東半島の阿弥陀堂のご本尊といわれ、亀川の信行寺[1]が預かっておられたものである。
名前 |
多福寺 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
ご住職の人格が素晴らしいです。