田沼には、宇都宮神社が多くあります。
田沼には、宇都宮神社が多くあります。
江戸時代は、彦根藩井伊氏の領地だった時代が長いのですが、本多正純が15万石だった時に宇都宮藩になっています。
その時に本多上野守が宇都宮大権現(二荒山神社)を勧請して自分の勢力を示したのだと思います。
旗川の辺りにあり、寂れてはいますが、敷地と隣接する公園は地元の人がキレイに整備しており、風情のある光景が見られます。
御神楽町宇都宮神社(みかぐらちょううつのみやじんじゃ)御祭神 大己貴命境内社 山神社 産泰神社由緒本社の由緒として記すべき程の事柄今に傳らざるは惜むべし今少しく地誌上より之を觀察する時は本村は元と佐野庄に編し野上郷と稱して累世佐野家の所領たり蓋だし御神樂とは例年大祭に氏子一同にて神樂を奏せしにより其地をは自然斯く呼び習はせしより名つけしならん後一條天皇の長元元年(1028)本社を再建せり維新前は三月十五日六月十五日九月九日を以て毎年大祭を行ひ小祭は毎月之を行ふことヽし祭式の如きも祭幣組九組ありて輪番に神事を補助監督し極めて荘重を旨とせしといふ就中正月七日の矢的祭は其の重なるものなりき又た御神樂の里は古より蓬山城の一の固めの塲なりと言ヘ傳ふて其名地方に著しかりき地頭水野石見守の歌に「笛太鼓囃子の昔は聞へねど誰か言ひ初し御神樂の里」吉田殿學士靑山筑前直虎歌に「神わざのいつこはあれど御神楽の里の御神楽とふとかりけり」境内地位置は大字の中央に位し里俗宮山と叫ふる丘陵の半腹にあり西向きの建設にして社前は潺湲たる蓬莱川の流れ一帶の白布を敷きたる如く一直線を畫して南に向ひて奔れり水面より龍頭迄高きこと殆んど三丈餘岩奇畳々碧苔滑なり境内には松杉橿の老樹枝を接して自ら幽趣あり眸を東北に放てば蜿々たる山岳其極まる所を知らず頗る鎖夏弄秋の境に適す(明治三十五年「下野神社沿革誌」より抜粋)
清水の舞台っぽい造り。
名前 |
宇都宮神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
野生の猿が近くにいました。