歴史感じる樺崎寺跡。
樺崎寺跡の特徴
鎌倉時代初頭の浄土庭園が魅力的で、歴史を感じる場所です。
国の史跡に指定されており、足利氏の菩提寺跡地が訪れる価値あり。
広い駐車場と敷地で、自然に囲まれた静かな環境が楽しめます。
寺久保山訪問の際に利用。
20台以上停められそうで、土曜の午前中でもほとんど車はありませんでした。
現在は寺院は跡のみで樺崎八幡宮神社があります。
庭園はそのまま残っているので当時の雰囲気を味わって下さい。
御朱印は公民館に連絡先があるので連絡して頂いて下さい。
Googleの連絡先は繋がりません。
土曜日、日曜祝祭日でもいただけます。
足利氏の菩提寺。
八幡宮が残り、庭園が復元されていますが、まだ跡のものがあります。
復元が進むと、当時の壮大さがよりわかるようになると思います。
見るものがない!昔の礎石と五輪塔の跡のみ、これも本当は向かいの低い山の上に有ったもの。
かつては足利氏の菩提寺として鎌倉後期~南北朝時代に隆盛を誇った寺も、後に衰退し、神仏分離令により廃寺と化し、今は樺崎八幡宮がポツンと立つのみです。
宮の床下に樺崎寺創建の足利兼義入定の地の墓標が立っていますが、未だ発掘調査が入っていないので、そこに兼義のミイラがあるかは不明です。
本来平泉毛越寺を模した庭園があり、復原された池が当時の栄華を微かに忍ばせるのみです。
本尊だった運慶作の大日如来坐像は、いつしか流れ流され、現在は何故か真如苑が所蔵しているという、数奇な運命を感じさせます。
国の史跡に指定されている寺院跡。
鎌倉時代初期に源姓足利氏第2代の足利義兼が創建し、寺には義兼の廟所が作られ、赤御堂と称されたそうです。
義兼以後、樺崎寺は足利氏の菩提寺となったのですが、戦国時代に入って足利氏が衰退すると、樺崎寺も荒廃したそうです。
足利市による継続的な発掘調査が行われて、平泉の毛越寺や観自在王院などと同じような浄土庭園が確認されました。
現在は整備が進み、苑池が元の姿に整備されています。
苑池は南北160m、東西70mと大きく、池のほぼ中央に中島、庭石も配置され、池は水をたたえ、浄土庭園の雰囲気が感じられます。
南東岸に植樹された1本の桜?の木が花を咲かす頃に訪れたら幻想的な姿が見れるかも知れません。
足利市樺崎町に有る樺崎寺跡。
足利人には、樺崎八幡宮という方が知られていると思います。
発掘調査·整備されて、今では、国の史跡に指定されています。
駐車場は広く・敷地も広いです。
当時は仏師運慶作大日如来様お祀りされた由緒ある御寺周りの環境を整備されていました。
名前 |
樺崎寺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.0 |
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鎌倉時代初頭の浄土庭園をもつ足利氏の氏寺(奥之院、廟所)跡で源姓足利氏二代目の足利義兼が文治5年(1189)に奥州藤原氏との奥州合戦の戦勝祈願のために創建したのが始まりとされています。
義兼は源頼朝の義兄弟で鎌倉幕府草創期の有力御家人として活躍していた人物です。
早くに出家し光得寺に伝わる運慶作厨子入り大日如来坐像を背負い全国の寺院を巡った後、この八輪山を借景とする浄土式庭園を備えた樺崎寺で念仏三昧の日々を送り即身仏になったと伝わります。
念仏堂を朱丹で塗り変えて廟としました。
跡地に八幡宮神社があるので所在が分からなくなっていますがご本人の物と思われる歯が大日如来坐像の胎内で見つかっています。
義兼は源姓足利氏の始祖とされ鎌倉公方が参詣すべき祖霊の地として繁栄しましたが 15世紀中ごろ以降は徐々に衰退し明治の神仏分離令で廃寺となり足利尊氏や歴代の供養塔(五輪塔)などの仏教的なものは光得寺などによって引き継がれています。
史跡に指定されていて発掘調査結果から復元されています。
駐車場あり見学無料です。