民家の中にひっそりと建つ神社です。
2021.2.19 現在 コロナ禍の影響により御朱印対応していないようです。
※「神社仏閣参拝は御朱印が全てじゃないだろう!」とお叱りを受けるかもしれませんが、「御朱印」目的でクチコミを見られる方もいると思うので、その視点で書かせていただきました。
※コロナ禍不対応のクチコミについては★は可もなく不可もなくで3個固定で。
(とりあえず★を入れないとクチコミできないので)※日付時点の情報ですので、後ほど対応可になることもあるかと思います。
あくまでも参考としていただいて、頂けるか否かはご自身で改めてお調べ頂きますようお願いします。
ここの神社は、住宅地の合間に、ひっそりと、たたずんでいる神社です。
民家の中にひっそりと建つ神社です。
駐車場も広く、無人ではありますが綺麗にされている神社でした。
(御朱印は無さそうです…)
例祭で拝殿が解放されていました。
名前 |
日光鹿島神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.3 |
主祭神 事代主命 建御雷男命配祀神 石凝姥命 天照大神 建御名方命 軻遇突智命 菅原道真公 宇賀能魂命 木花開耶姫命 大山祇命 久那戸神境内社 八坂神社 十二所神社 織姫神社 三峯神社 塞神社(八衢比古神 八衢比女神 久那戸神)由緒鎌倉時代初期、保延三年(1137)足利荘成立の際、大窪郷が開発され、鎮守として日光大権現を勧請しました。
文正元年(1466)長尾景人が足利荘代官として勧農城に入部以来、大窪郷は長尾氏が支配し、永禄四年(1561)小野寺景綱が長尾景長配下として大窪郷を拝領すると、鹿島大明神と菅原道真公を合せて奉祀。
天満宮、諏訪神社、神明宮も大窪郷内に祀られました。
江戸時代、延宝七年(1679)社殿再建、延享二年(1745)再々建しました。
嘉永二年(1849)三月に本殿が建造されました。
明治四十年(1907)神饌幣帛料供進社に指定されました。
明治四十一年(1908)天満宮、飯蔵神社、愛宕神社、伊勢大神社、諏訪神社、神明宮、上浅間神社、下浅間神社、山神社、石上井神社、小山神社を合祀しました。
大正八年(1919)本殿・幣殿・拝殿上屋を改築。
平成二年(1990)本殿・幣殿・拝殿上屋を銅板葺に改修、同三年社務所を再建しました。
同十四年境内地を改修しました。
騎斉安貞画の嘉永二年(1849)本殿天井板絵は足利市重要文化財です。
(「社殿内奉納板」及び「栃木県神社庁HP」より)足利市指定重要文化財(絵画)「日光鹿島神社の天井板絵」現在、本殿の鞘堂になっている建物は、もと拝殿でしたが、この内部の格天井に板絵が描かれています。
白色の胡粉の地のうえに花鳥を中心に様々な絵が七十七枚、彩色で描かれています。
内一枚に嘉永二年(1849)の銘記ががあり、江戸末期に描かれたことがわかります。
(境内案内板より)拝殿内にはたくさんの奉納絵馬が掛けられています。
幣殿の梁には象・獅子・龍の守護霊獣の彫刻。
鞘殿天井に足利市指定重要文化財「日光鹿島神社の天井板絵」。
本殿胴羽目にも見事な彫刻が施されています。
が、通常は例祭の時であっても鞘殿の中までは入ることができません。