かなり静かーな神社。
大前神社(おおまえじんじゃ)御祭神 於褒婀娜武知命(大己貴命)配祀神 神日本磐余彦火々出見命(神武天皇)境内社 二荒山神社 皇御孫神社 下野式内社(十一社の神霊) 浅間神社由緒寛政年間末(1800)頃成立の「鹿沼聞書・下野神名帳」による記載神名帳十一社 都賀郡三座 並小 大神神社 大前神社 村檜神社式内十一社 大前神社 大前大明神(都賀郡大前村) 勝光院萬延元年(1860)庚申八月発行の「下野掌覧 坤」による記載延喜式ニ載タル當國十一座 大一座 小十座 大前神社 大嵜村ニアリ明治三十六年(1903)「下野神社沿革誌」による記載下都賀郡赤麻村大字大前字礒城宮鎭座 延喜式内 郷社 大前神社社域二千四百八十七坪高燥の地にして四顧開豁田野に接し境内には松杉櫻枝を交へ蔚然として四方に繁茂し其中央に本社拜殿雜舎に至るまで壯麗ならさるも頗る優美にして高潔花時には一簇の香雲松樹の深翠と相映し風色幽邃なり大前神社は、その先、磯城宮と号しました。
大前神社は創立時代未詳ですが、人皇六十代醍醐天皇の勅撰に蒙り、延喜五年(905)八月式内社に列せられ、延喜式内の称号をたまわり、下野十一社の一社として神名帳に登載されています。
社伝によれば天慶二年(939)平将門の乱の際、村中ことごとく兵火に焼かれ、当神社も焼失しましたが、間もなく再建されました。
而して、室町時代再度の火災により社運が衰い、祭祀も廃すること百年に及んだと云われています。
天正十九年(1591)徳川家康入府の際に再建されました。
元和八年(1622)当地が古河領となり、領主永井直勝は社地五段百歩田四段七畝を寄進し、永井氏佐倉に移封された後も武の神として近隣近郷の崇敬があったといいます。
明治三年(1870)栃木県管轄となり、近郷の総鎮守とされ、明治五年(1872)十一月郷社に列せられました。
現在の鎮座地は明治十二年(1879)四月移転されたもので、旧社地跡は北方約400m離れた台地であった旧社地跡の記念碑も、土地改良によって北方約100mの畑地に移されています。
下野国誌によれば「オオサキ」と稱していますが、当神社近郷では「オオマエ」とよんでいます。
尚当神社境内と近隣に九世紀と考えられる「タタラ」跡が三基確認され、鎔工傍らに住みたる多くの錊も見られ字天国府字国造字城坊などの地名もあり、古代よりの社歴を物語っています。
(境内碑「延喜式内大前神社沿革史」参照)
住宅街の一画に有る神社です。
古墳時代に関東地域を治めていたシキ宮の大王はこの辺りにあったとされる関東にある古墳でも古いものが多い。
歴史深い、静かなお社。
その昔は古河藩だった場所みたいです!
栃木市は藤岡にある、普通な氏神様です。
近くには保育園などもあり、お散歩などに丁度良い神社です!
とても心地よい🎵ところたくさんの木立があるからでしょうか。
【山西風の社殿】下谷国利賀郡大枝玉神社(原文)延喜式内社,下野國 都賀郡 大前神社。
名前 |
大前神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=1454 |
評価 |
3.9 |
かなり静かーな神社。
境内広いです。
ゆっくり出来ます。
隣に公園があって、こちらでもゆーっくり出来ます。