名前 |
東箭神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=75622 |
評価 |
4.3 |
東箭神社(とうやじんじゃ)御祭神 大己貴命 饒速日命 菅原道真公境内社 天満宮ほか六社由緒寛政(1800)の頃の記載「都賀郡 正一位 東箭大明神 小林 松本貞七」(「鹿沼文書・下野神名帳」参照)万延元年(1860)の記載「正一位 東箭大明神 小林村鎮座 祭主松本氏ナリ」(「下野掌覧 都賀郡之部」参照)明治三十六年(1903)の記載「中村大字南小林鎭座 村社東箭神社 祭神大已貴命 建物本社六尺四方 拜殿間口四間奥行二間半 末社七社 氏子六十八戸本社創立不詳 社域二百六十四坪平坦の地に在りて槻の老木高く聳ひ風色佳なり」(「下野神社沿革誌」参照)東箭神社は、応安元年(1368)南北朝時代に東日本でも最大級の勢力を誇った小山氏第十一代当主・義政が、二十歳の時初陣で、新田義宗・脇屋義治の反乱軍の征伐に加わる時、戦勝祈願で神社へ家宝の矢ひと筋(先祖である藤原秀郷が平将門征伐に使用した矢)を奉納し合戦で大勝しました。
三毳の関から東にある神社に秀郷の箭(矢)を納めたことが東箭神社の名前の由来と伝えられています。
その後、この近くには天正年間(1573~1592)に新たに村が開発され、その村が慶長十三年(1608)の検地の際に当地に移ってきたことで、現在この神社を守る南小林集落がこの場所に築かれたことが、地域に残る古文書から分かっています。
(「境内案内板」参照)「梅の宮宿」神社のある南小林は日光近裏道の日光道中野木宿と例幣使街道栃木宿の中間にあたり、野木と栃木を結んだ日光山裏街道、小山と佐野方面を結んだ佐野道が交差する特性を活かし、延享元年(1744)には道中奉行によって野木~南小林間、南小林~栃木間の荷物や人の運賃が公式に定められた政府公認の宿場町「梅の宮宿」となり、隣接する上泉の本沢河岸と共に交通の要衝として栄えました。
(「境内案内板」及びサイト「とちぎ旅ネット」参照)小山市指定有形文化財「東箭神社の本殿と装飾」東箭神社に残る本殿は、上泉村の安良岡丈八らによって文化九年(1812)に建てられたことが、現存する棟札によって知られています。
この本殿の大きな特徴は、二十年ほど後に付け加えられたと考えられる豊富な装飾彫刻です。
胴羽目と脇障子には中国の故事を題材とし、木鼻の象や唐獅子、向拝虹梁上に龍、欄間や縁下小壁に花鳥や波・魚・亀などをあしらった透かし彫りが施されています。
日光東照宮五重塔の再建において彫物大工棟梁として名を馳せ、下野随一の彫物大工集団として知られた礒辺一族の名工「後藤周次正秀」の手による本殿を埋め尽くすかのような豊富な装飾彫刻は、精巧で生き生きと表現されていて、県内各地のこの時期の神社建築の中でも水準を超えた質を誇り、地域の往時の繁栄が偲ばれます。
(「境内案内板」参照)