祭り囃子を30年やってた。
御由緒書きには、永禄五年(1562年)に長谷部兵庫吉長によって当地に遷されたと記されていますが、資料によれば、応和年間(961年-)に、奥羽地方より移住してきた住人達(彼らの遠祖は、坂上田村麻呂将軍に従って当国より奥州征伐に行ったものという)によって、現在の寄居町立桜沢小学校の辺りに塚を築いて諏訪神社を祀ったのが始まりで、その後文明年間(1469年-)に、花園城主藤田掃部左衛門氏行が、信州の諏訪大社より正一位南宮法性大明神の分霊を勧請して社殿を建立したとのこと。
奥羽地方より当地藤田郷に移住してきた住人達は土着に際し、信州諏訪神社大前の水田にちなみ、当社前の平野を御前田原と呼んだ。
「御前田」または「小前田」の地名は、この時に始まる。
とあります。
当地藤田郷での豪族集団の始まりは花園城主藤田氏であり、武蔵七党の猪股党の出で、猪俣野兵衛尉時範の子政行が武蔵国榛沢郡藤田郷に拠って藤田を称したことに始まるそうです。
平安時代末期、鎌倉時代、室町時代と当地を領有し、室町時代末期、後北条氏がこの地域へ勢力を伸ばしてくると、藤田氏はその傘下に入り、のみならず、北条氏康の四男・氏那を養子として迎え入れることとなる。
氏那は荒川の対岸の地に鉢形城を営み、そちらに居城を移し北関東の最前線の拠点としたとあります。
境内の参道はL字型でこじんまりした感じですが、社殿の風格や社殿に施された彫刻芸術は、古社に相応しい見事さでした。
少し遠方ですが、御利益があり、家族を護ってくれています。
ありがとうございます。
手水舎の奥に新設された石の置物は凄いパワーが有るそうです。
2019年末から2020年始にかけて更にパワーアップしたそうです。
数年かけてとうとう日本一清らかにしたらしいです。
2019年末から2020年始にかけて更にパワーアップしたそうです。
数年かけてとうとう日本一清らかにしたと近所のお爺さんが仰ってました。
ここは日本一清々しい神社です。
近所のお爺さんとその仲間が徹底的に邪悪な霊を取り除いてくれた、唯一、詣でて良い場所だとお爺さんが言ってました。
私がお爺さんに出会えた事もありがたく、この神社は用がなくても立ち寄りたい場所です。
祭り囃子を30年やってた。
名前 |
諏訪神社(小前田) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
048-582-0879 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
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駅から近いのでご訪問させていただきました。
駅前からすでにたくさんの方々(玉体様)がいらっしゃいます。
ご苦労さまです。