名前 |
三沢八幡大神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0494-65-0067 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
三沢八幡大神社(みさわはちまんだいじんじゃ)御祭神 誉田別尊(応神天皇)境内社 八坂神社 天神社 古峰神社 織姫神社 玉川神社由緒八幡大神社は、上三沢の総社として創建以来約八百余年の歴史を持つ由緒ある鎮守です。
伝説や、江戸時代後期に書かれた新編武蔵風土記稿によると、創建の年は不明とされていますが、鎌倉時代のはじめごろ、当時秩父地域を支配していた坂東武者・畠山重能か、その嫡男の重忠が鎌倉幕府に請願し、鶴ヶ岡八幡宮を勧請してここに祀ったものと言われています。
神社の東西南北400m以内には、創建当時に設置されたと言われる四方固めの石(四方杭)があり、その背後の山には守護神・四天王を祀る小社があります。
また神社には、慶長九年(1604)と元禄十年(1697)の本殿改修の棟札二枚や、江戸時代に式三番で使ったと思われる面や神楽面、烏帽子、扇子が残されています。
神社の管理は、室町時代中期の明応元年(1492)に、上三沢曲木にあった修験道の寺の、大泉院の祐仙法印という修験者が最初に奉仕したと言われていますが、明治になり神仏分離令が出るまで常楽寺の管理下に置かれていました。
その後、明治四十年(1907)に三沢上郷にあった各神社を統合し、大正十三年(1924)に村社となりました。
境内には、八坂神社や天神社、古峰神社、織姫神社などが祀られています。
また、室町時代中期の武将で、鉢形城(寄居町)を改修して拠城とした、三沢にも「なごう様」の伝説がある長尾景春か、または、室町時代後期に龍ヶ谷城(下三沢)を築いた藤田重利(用土新左エ門)の家来だったとも考えられる玉川小太郎か、その子息の慰霊を祀ったものとも言われる玉川家の氏神様玉川神社があります。
年中行事の、九月の例大祭には、笠鉾が上三沢地内を曳き回され賑わいを見せます。
この笠鉾を曳き回すルートは、江戸時代には秩父に来る主要なルートの一つで、今も一里塚の跡などが残っています。
昔は美の山中腹を越え栃谷に抜け、秩父夜祭りの時は、多くの方がここを歩いて秩父に向かったと言います。
大晦日の大祓いは行列を組み、笛や太鼓を奏で、宮司が沿道に集まった人々の罪と穢れを祓い清めながら中三沢境まで行進し、厄神を三沢川に祓い流します。
(「境内案内板」参照)