参道が折曲がっているので奥が見えない。
井椋神社(いぐらじんじゃ)御祭神 猿田彦命 健甕槌命 経津主命 天児屋根命 比売神境内社金比羅大権現 蚕影山神社 子大神社 荒神社境内左側合殿(八坂神社・天神社・日吉神社・諏訪太社・八幡大社)白籏八幡神社(白旗八幡社・八幡神社・大雷社)境内右後方合殿(浅間大神・山神大神・壱岐手長男大神・津島姫命・稲荷大神)由緒創建は日本武尊の東方遠征の頃(二世紀頃)で、後に御祭神を、元々は猿田彦命一神でしたが、平将門が謀反を起こした時に、藤原秀郷公が追討の命を奉し来て祈願を籠め、藤原氏の氏神である春日四神(天兒屋命・武甕槌命・経津主神・比賣神)を併せて祀って井椋五所大明神と称したのが始まりです。
井椋神社は、畠山氏の先祖である将恒から武基、武綱、重綱、重弘、重能の代に至る間、秩父吉田郷領主として井椋五所宮を敬ってきました。
その後、重忠の父重能が畠山庄司となって館を畠山に移した時、祖父重綱が勧請(分祀)したものです。
初めは、井椋御所大明神や井椋五所宮と号していましたが、明治三年(1870)十一月井椋神社と改称し、村社に列せられました。
明治三十九年(1906)勅令の旨に基づき、明治四十一年(1908)十月無格社字山王の日吉神社・字諏訪峐の諏訪神社・字子の亥子大神社・字冨士腰の浅間神社を井椋神社境内に移轉し、字如意の稲荷神社を井椋神社末社稲荷神社に合祀し、字八幡の八幡神社と字栗坪の白旗八幡神社とを合祀して井椋神社境内に移転しました。
明治四十二年(1909)七月神饌幣帛料供進に指定されました。
大正四年(1915)御大典記念に石鳥居及社務所を建設しました。
そのほか境内には近所の各神社が合祀され、蚕の神様である蚕影神社もあります。
白旗八幡神社は、源氏の白旗を祀った神社です。
また、社殿裏の荒川断崖に、鶯の瀬の碑が建立されています。
(「井椋神社之碑」及び「境内案内板」より)鶯の瀬鶯の瀬は、畠山重忠公が榛沢六郎成清のもとに行った帰路に豪雨に逢い、洪水で渡れないでいるときに一羽の鶯が鳴いて浅瀬を教えてくれたと言い伝えられています。
(現地案内板より)
井椋神社は、畠山氏の先祖である将恒から武基、武綱、重綱、重弘、重能の代に至る間、秩父吉田郷領主として井椋五所宮を敬ってきた。
その後、重忠の父重能が畠山庄司となって館を畠山に移した時、祖父重綱が勧請(分祀)したものである。
源氏の白旗を祭った白旗八幡神社等がある。
2019/02/24 訪問。
人が居なくて静かな所でしたので、ゆっくりと参拝出来ました。
名前 |
井椋神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
満福寺から武川駅ヘ向かって歩き始めたら、接する様に鳥居があり、参道が折曲がっているので奥が見えない。
期待ができそうもないので躊躇したが、折角なのでお詣りすることにした。
社殿は近年のもので、予想の範囲内のお社です。