深谷市長在家に通称〔石臼神社〕と呼ばれる稲荷神社が...
初めて、行ってみました。
深谷市指定有形民族文化財に指定されています。
境内の参道に、村人がいらなくなった石臼を納め敷石にして、並べられています。
珍しいですね、こういったものは初めて見ました。
深谷市長在家に通称〔石臼神社〕と呼ばれる稲荷神社がある。
参道に350個の石臼が敷かれている。
荒川での〔舟車〕による製粉が盛んだったことが由来。
鳥居の横に芭蕉句碑がある。
春の夜や籠り人ゆかし堂の隅 はせを〔笈の小文〕所載の句で、貞享5年(1688)初瀬の〔長谷寺〕での吟。
名前 |
長在家稲荷神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.4 |
長在家稲荷神社(ながざいけいなりじんじゃ)御祭神 倉稲魂命合祀社 八坂神社 飛房大神 子ノ大権現 浅間神社 小御岳太神 仙元宮 その他当地は古くは武蔵国榛沢郡長在家村と呼ばれていました。
長在家地域は、室町時代に深谷上杉氏第五代房憲(深谷城初代城主)が開祖した昌福寺の縁起の中に「長在家の長者」という記述がみられるなど、古くからある地名です。
長在家地域を含めた荒川中流域両岸は、平安時代後期から畠山氏の所領で、鍛冶製造が発達した一大根拠地と言われています。
神社の創建は不詳ですが、享保十九年(1734)に神祇管領卜部兼雄から宗源宣旨を受け、正一位に叙せられたことと、この地域の歴史を考えると、江戸時代の初期、又はそれ以前の創建と考えられます。
深谷市指定有形民俗文化財「石臼参道」昔、小麦や豆などの穀物を粉にするには石臼を使っていました。
いつの頃か、要らなくなった石臼を、村人が神社に納めました。
その石臼を境内参道の敷石にしたもので、約350個余り並べられています。
この様な例はあまり無く貴重なものです。
稲荷神社の三月の例祭では「豆腐まつり」と言い、各家庭で豆腐を作って奉納しました。
その大豆も、ここに奉納された石臼で挽いたのであろうと想像できます。
また、境内には文久元年(1861)に田島金岳ほか十三人で建てた「春の夜や 籠り人ゆかし 堂の隅」と刻まれた芭蕉句碑があります。
(境内案内板より)「春の夜や 籠り人ゆかし 堂の隅」(春の夜、籠りの人が、灯明も幽かなお堂のほの暗い片隅で、黙然と祈りを捧げている。
その光景は何ともいえず艶で、心ひかれるものがある。
)文久の時代、この句碑を建てた人たちは、社に向かって一心に祈りを捧げる人を見て、「あの人は、何を祈っているのだろう」と考え、そしてその真剣な姿に「その願いが叶いますように」と思い、句碑を建てたのだろうと思います。
文久の時代から現在に時は流れても、地域の方たちの心持ちは句碑に表されているのではないかと思わされます。
(個人的な感想です)稲荷神社の東側に、稲荷神社社務所を挟んで武川村招魂社があります。