鳥居の装飾が特徴的です。
中ん家からすぐのところにあります。
渋沢栄一など地域の氏神です。
渋沢栄一が修理代の多くをだして荒廃していた神社を復興させたとか記載がありました。
おさい銭箱の横にある引き出しに神社案内と御朱印が印刷されたチラシ?が置いてあります。
この形態は初めて見ました。
2021年3月訪問。
渋沢栄一の生まれた血洗島の氏神。
栄一は若い頃こちらで獅子舞を踊ったそうですし、経済界で成功後もお祝いをこの神社にて行っています。
そのようなイベントは、諏訪神社の他は東京の帝国ホテルが多かったようですが、それだけ思い入れがあったのですね。
鳥居のあたりに小さな駐車スペースがありますが、中の家(なかんち)から歩いても100mくらいです。
栄一翁は帰郷の際、まずこの社に訪れたそうです。
そして、少年時代に自ら舞った獅子舞を秋の祭礼時に鑑賞することを楽しみとしていました。
村民が栄一翁への報恩の為、建立した喜寿の碑が境内にあります。
中の家から徒歩数分です。
澁澤栄一さん関連の神社さん前社も立派ですが、奥社のほうも立派ですすぐ隣の石祠の2基、きちんと旗立台があるのが、気になりましたね宮城遥拝を示す石柱があるのが、めずらしいですね(これに気が付いた人が、何人いることでしょうか?)この辺りの史跡、皇紀2、600年という年号が、ひとつキーワードになっています。
戦争の影響は、やむを得ないか。
時代を感じさせる立派な神社。
「御朱印」と称するものはあったがこれはヒドイいくら無料でもちょっとなぁ・・・
深谷の偉人渋沢栄一の生まれた地域の氏神様。
鳥居の文字は渋沢栄一の書いたモノ。
賽銭箱の左側に、御朱印付きパンフレットがあります。
1人一部。
無料。
深谷の偉人、澁澤栄一が愛した獅子舞のお祭りがある血洗島の諏訪神社。
鳥居には澁澤栄一が書いた諏訪神社の文字中の家から近いです。
血洗島村の氏神様でした。
明治22年に隣の手計村の大字となり村ではなくなりました。
血洗島の地名由来は諸説ありますが、やはり利根川の氾濫から土地を洗う、というのが大筋ではないかと思います。
しかし面白い土地で渋沢栄一は生まれ育ったものです。
深谷市血洗島に鎮座する社。
渋沢栄一が出生地の社として諸事寄進をしていたこと。
拝殿前にはチラシが据えられているが、よく見ると御朱印が一部に印刷されている。
周辺には野菜畑が広がり人気が少ないエリアであるが、来年は観光地となるのだろうか。
戦前には多くの近在の方が集まって儀式をしたのだろうか、宮城遥拝所の石柱が凛として立っている。
旧村社。
御祭神:建御名方命(たけみなかた)。
創建:年代不詳。
この渋沢栄一生地「中の家」のすぐ南(300m位)にある、諏訪神社は旧血洗島村の鎮守で、拝殿は渋沢栄一翁が寄進したものだそうです。
境内には栄一翁の喜寿を祝って、諏訪神社の氏子中の拠金により建てられた「渋沢青淵翁喜寿碑」が建っています。
徳川慶久題額、萩野由之撰、坂正臣書によるものだそうです。
御由緒書きには、血洗島の鎮守社で、古来より武将の崇敬が厚く、源平時代に岡部六弥太忠澄は戦勝を祈願したといわれ、また、この地の領主安部摂津守も、参拝したと伝えれれている。
とあります。
創建に関わる伝承には他にも、日本武尊伝承や、平将門の乱伝承がありますが、なぜ諏訪信仰の諏訪神社なのかが気になります。
渋沢栄一翁も少年時代に、この境内で遊び自ら舞った獅子舞が、「血洗島獅子舞」として深谷市の無形民俗文化財に指定され受け継がれているそうです。
渋沢栄一の史跡巡りに追加して碑を読んでもらえるといいですね。
渋沢栄一翁の生家のある血洗島の神社です。
鳥居の装飾が特徴的です。
名前 |
諏訪神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
048-587-2299 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ
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血洗島諏訪神社。
御祭神は建御名方命。
拝殿は渋沢栄一寄進。
1916年(大正5年)拝殿落成時に渋沢栄一も参列し演説。
又、拝殿内に掲げる扁額を献納し、記念樹を境内に手植している。