日本むかしに出てきそうな雰囲気。
久保島大神社(くぼじまだいじんじゃ)主祭神 大山祇神 伊弉諾命 伊弉冉命 素盞嗚神配祀神 橘姫命 倉稲魂命 建御名方命 誉田別命 大日孁貴尊 大雷神 軻遇突智命 天手長男神由緒小曾根村 山神社 村の鎮守なり、當社は延喜式内楡山神社なりなどいへど疑ふべし、楡山神社は原ノ郷にある熊野社ならん、見るべし。
別當観照院 天台宗、埼玉郡上中條村常光院末、阿彌陀寺と號す、開山榮順正保三年十月寂せり、本尊阿彌陀。
神明社 是も村の鎮守なり。
別當大光寺 同末(天台宗、埼玉郡上中條村常光院末)、明珠山願成院と號す、開山秀海寂年を傳へず、本尊薬師。
諏訪社二宇 吾妻社 大天白社 稲荷社二宇 蔵殿社 以上七社観照院持。
八幡社 大光院持。
聖天社 愛宕社 稲荷社 以上三社尊乗院持。
(「新編武蔵風土記稿」参照)嘗て、熊谷市近辺には八島八河原といって、「島」と「河原」の字のつく地名が八か所ずつありました。
当神社の鎮座する久保島もその一つで、江戸時代までは窪島とも書かれ、古くは東西二村に分かれていたといわれています(久保島を東西二村に数えなければ「八島」にならない)。
「風土記稿」久保島村の項に、「村の鎮守」として、山神社と神明社の二社が挙げられているのも、このように村が東西に分かれていたころの名残で、観照院が別当を務める山神社は西久保島の鎮守、大光院が別当を務める神明社は東久保島の鎮守でした。
このうち、山神社については「延喜式」に見られる楡山神社であるとの伝えもあり、延享三年(1745)には極位を受け、正一位山神大権現と称しました。
「風土記稿」はこれを疑問視し、「楡山神社は原ノ郷にある熊野社ならん」としています。
なお、延享三年(1745)の極位を受けた時の宗源祝詞には、瓜と夕顔の種を播くことの許しを乞う一節が見られ、興味深く考察されています。
「特選神名牒」「神社覈録」「武蔵国式内四十四座神社命附」などは、いずれも楡山神社(深谷市原郷)を式内社としています「式社考」が、妻沼の聖天社を式内社楡山神社としています。
「巡礼旧神詞記」が、久保島村の山神大権現を式内社楡山神社としています。
明治に入ると、どんな理由からか、地内にあった尊乗院持ちの聖天社が二柱神社と改称して村社となり、山神社・神明社は共に無格社にとどまりました。
しかし、明治四十二年(1909)政令により、一村社とすべく、無格社ながら規模が最も大きい山神社に、二柱神社及び神明社をはじめとする無格社七社をそれらの境内社と共に合祀し、山神社を村社に昇格の上、改称して、ここに久保島大神社が誕生しました。
(「埼玉の神社」参照)「久保島」地名の由緒久保島大神社が鎮座する「久保島」という地名の語源は「窪+地」、乱流河道の中に取り残された低地の中にある微高地という意味です。
このような地形形成の最大の要因は元荒川でした。
現在では静かな河川ですが、江戸時代以前は荒川本流として文字通り「荒ぶる川」として悪名高く、古くから洪水による災害が発生している大変な暴れ川でした。
特に熊谷市の付近は荒川扇状地の扇端部で、荒川の河床勾配は急激に緩やかになるので、土砂の堆積作用が顕著になり、近世以前には多くの派川が形成されていたと考えられます。
寛永六年(1629)の荒川の瀬替えによって、荒川が熊谷市久下付近で締め切られるまでは、名前が示すとおり、元荒川は荒川の本流であり、そして近世以前の荒川は利根川の支流でした。
荒川と利根川は長い間、埼玉内部の平野地を蜘蛛の巣のように乱流して流れていて、洪水などの度に自然に流路を変えていました。
元荒川と古利根川の間の地域は、先人達の苦労が思いやられます。
(ブログ「古社への誘い 神社散策記」参照)
彼岸花が綺麗に咲いていました。
静かな所にひっそりとある神社でした。
御賽銭箱がない😳というかドアの向こうにある…?だからお金を置いて帰っている人もいました。
盗まれないことを願います!
住宅街にあるこじんまりとした神社。
季節になると曼珠沙華がとてもキレイで、一見の価値があります。
ですが、とにかく藪蚊がとても、とても多いので遠目から見るか、虫除け対策(顔から首筋まで全体が隠れる帽子、長袖長ズボン、手袋)などされる方が良いと思います。
久保島地区の村社石製と赤い木製の2つの鳥居がある赤鳥居の横には平成16年に立て替えた際の事が記されている立て看板がある神社の由来を記した看板などはない社殿は拝殿と本殿を渡り廊下でつないだ物末社が2つあり三峰神社と稲荷神社だった拝殿内部は古い額がいくつも掲げられている。
境内に咲く彼岸花は一見の価値があります。
川が近いせいか藪蚊がとても多いです。
長袖長ズボン、手袋など虫除けは万全にした上で、散策されることを進めます。
藪蚊の多さでマイナス−2です。
駐車場が限られ、住宅地のど真ん中にあるため、熊谷駅か籠原駅からのバスか籠原駅からの徒歩をおすすめします。
神社以外にも、彼岸花が群生しているため、近隣散策もおすすめです。
徒歩10分ほどの高崎線の跨線橋があり、それを渡った田んぼのあぜ異道の彼岸花も見事でした。
日本むかしに出てきそうな雰囲気。
熊谷桜ファンクラブ熊谷桜(くまがいざくら)の植樹で伺いました。
名前 |
久保島大神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
素敵な神社でした。