2019年7月に参拝に行きました。
2019年7月に参拝に行きました。
通りに細長く面しています。
お隣がお寺だったので最初はお寺の境内と勘違いしてしまいました。
中々良い感じです。
手水舎の写真をネットで見たのと比べてみたら???彫刻が違う。
もしかしたらこれってお隣の手水舎?? 撮したのが友人なので帰ったら聞いてみよう。
本殿はとても良い彫刻がありました。
しかし保護用のネットが左側手前で一部破られていました。
多分どうしても正面の写真を撮りたくて誰か心許ない方がしたものと思われます。
昨年友人が行ったときは、まだそういった形跡は無かったと聞きました。
こういう行為をされると単に神社が好きで写真を撮りに行っている人たち全員が同じ目でみられてしまうことが悲しくなります。
写し方は工夫一つで色々応用が利きます。
私の写真も防護ネット下の金網部分から撮影したものです。
静かで素敵な神社⛩華蔵寺の隣。
丸山酒造の前。
旧村社格。
横瀬氏由来。
名前 |
横瀬神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.4 |
旧村社。
資料によると、当地深谷市横瀬は、中世には武蔵七党の横瀬氏の領であった。
当社は、後深草天皇の御代の建長年中(1249~56)に、土地の豪族・横瀬三郎為清の勧請によるもので、「聖天宮」の名で、横瀬七郷(横瀬、新戒、古市、大塚、中瀬、高島、石塚)の総鎮守として崇敬された。
明治維新の後、土地の名により横瀬神社と改称した。
県指定有形文化財(建造物)本殿は、建立年、大工棟梁、彫師が明らかであるとともに、全体が、国宝・歓喜院聖天堂を手掛けた前原藤次郎とその一門による、非常に手の込んだ先進的な彫刻に覆われている。
保存状態もよく、彩色は剥落しているものの、その出来栄えは精巧さを保ったまま伝えられており、埼玉県の神社特有の「彫刻装飾を施した社寺建築」の一例として貴重。
拝殿は、明治時代の建築であるが、文化年間の部材が再用され、技法も継承されるなど、近世の社寺建築技術の伝承を知るうえで貴重。
とあります。
深谷市北西部、本庄市との市境に鎮座しています。
北側に旧別当である、華蔵寺という大きな寺院があります。