軒、土台に彫刻が施されてなかなか立派なものだ。
延喜式内社と云われる神社にしては寂しい雰囲気。
宮司様も常駐していないらしく、御朱印も頂けませんでした。
参拝の後社務所へ行くと、「祈祷中につき終わるまでお待ちください」とありました。
待つこと10分程でしょうか。
とても感じの良い宮司様に対応して頂き素敵な御朱印を頂いて来ました。
三ヶ島中氷川神社、普段は無人で元旦の初詣にて参拝後、御朱印を戴きました。
元旦だからなのか?書き置きが用意されていた。
所沢市三ヶ島にある神社で旧三ヶ島村の鎮守、旧村社。
『延喜式神名帳』武蔵国入間郡 中氷川神社に比定される延喜式内論社で、所沢市山口に在る中氷川神社もその論社。
北東に一の鳥居があり、そこから真っ直ぐに細い参道が伸びていました。
手水は水が流れていませんでしたが、境内は綺麗に掃き清められていて清々し。
拝殿はふっくらとした入母屋造りで、ちょこんと飛び出た千鳥破風が可愛い。
結構細かい彫刻が施されていて意外に見応えありました。
裏には戦後に台風で倒れて枯死した御神木が保存されていましたが、なかなかの威容。
日没までに出雲祝神社まで辿り着きたかったのでバタバタしてしまいましたが、またいつかじっくり訪れたいですね。
寂れた感は否めませんが、人の行き来は見られました。
実は駐車場があるんです。
お店は無し。
華は無いかもしれませんが素朴でいい場所です。
静かです。
誰もいません!
延喜式内に名を残す社です。
延喜式の神名帳に「武蔵野国四十四座の一つの中氷川神社」と記載されています。
ここから近い山口地区にも中氷川神社があります。
ここと山口の中氷川神社のどちらが、『武蔵三氷川』の“中氷川神社”とするかは、諸説あるようです。
ここ三ヶ島の中氷川神社は、「長宮」と称された時代がありました。
「長宮」は武蔵国一の宮から奥の宮の“流れ”に位置する、と称されるところに注目するならば、村社格ながら、ここが「武蔵野国中氷川神社」となるかもしれません。
創建は、崇神天皇の御代に勧請されたようです。
景行天皇の御代、日本武尊が東征の際、この地をとおり掛かった折、こちらに訪れたとのことです。
当お社には、所沢市の指定文化財である『銅製三尊懸仏』が伝えられている。
これは、古の神仏習合信仰の遺品である。
こちらのご祭神は、「スサノオノミコト」、「クシナダヒメノミコト」、「オオムナチノミコト」、「スクナヒコナノミコト」の四柱です。
境内は、鎮守の森と民家に囲まれたところにあります。
鎮守の森には。
御神木らしき大木の幹が屋根を懸けて奉られています。
保護する建物に覆われた本殿は四方の壁面、軒、土台に彫刻が施されてなかなか立派なものだ。
境内が荒れているのは残念。
所沢市内にある中氷川神社の一つ。
静かで落ち着いた神社。
無人のため、御朱印は無し。
2018.11.28に糀谷八幡神社から歩いて訪れました。
山口の中氷川神社は何度か訪れているものの、こちらは初めて訪れました。
歴史も古く、日本武尊のゆかりもあります。
長い参道があり、整備された駐車場もあるのに、手水舎が機能してないのが残念。
社殿裏にある、枯れていると思われる御神木は見物です。
無人社です。
氷川神社巡りをしてる人にはオススメです。
後は、奥氷川神社にも伺ってみたいです。
延喜式の中氷川神社の論社。
同名神社が市内山口にあり同じく式内社を称しているが、そちらは旧社格が県社でこちらは村社。
ただし、いくつかの古書には鎮座地が三ヶ島とある上、天正19年の徳川家康の朱印状では、山口の中氷川神社が4石強に対してこちらは10石となっており、式内論社としてはこちらの方が優勢。
しかし、現在は手入れが行き届いているとは言い難い上、社殿も特徴のない村の神社といった感じで寂れている。
[延喜式内社]武蔵國 入間郡 中氷川神社。
入間郡の式内社。
氷川神社は武蔵国の各地にあり分布に興味があります。
細長い参道の奥に落ち着いた静かな境内。
現在の道路に対して斜め方向の参道、この向きも意味がありそうに思えます。
西武線の駅からバスで訪ねました。
歴史の有る神社です。
歴史ある延喜式内社ですが、手水舎にはお清め水も無く寂れた印象でした。
宮司も常駐では無く御朱印も頂けませんでした。
同名の中氷川神社が同市山口に鎮座していますが、こちらは宮司が常駐されています。
鳥居から長く続く参道は桜が植えられて季節がくれば素晴らしい景色を見せるだろう。
裏手に枯れた巨大な神木あり。
名前 |
中氷川神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ
![](./loading.gif)
道路からちょっと見えるこちらの神社は木々に囲まれ、参道が長いので趣深い。
神社の造形は癒やされます。