八日市のほぼ街中にあります。
地元の人たちに「市宮ゑびす」さんと呼ばれている、東近江市の中心地の小さな神社。
同じ通りに、森が見えますがこちらは野々宮神社で間違いやすいです。
境内に駐車場はありますが、幹線道路からは入りづらく、大きな車や運転に自信がない方は近江鉄道八日市駅周辺の駐車場に留めて歩くことをおすすめします。
聖徳太子さまが開いたといわれる八日市の町。
太子さまの像があります。
再来年まで太子さまゆかりの限定のご朱印をいただけます。
また、公開はされていませんが、額田王の像もあります。
この辺りが額田王の「あかねさす 紫野ゆき 標野ゆき〜」の歌が詠まれた蒲生野と言われているのだとか(諸説あります)。
住宅地に佇む神社ですが、鳥居をくぐると空気が変わりました。
大國主命、猿田彦大神を祀られており、額田女王とも縁が深いと。
加藤清正公、安倍晴明公とも縁があると。
聖徳太子1400年忌のことを知らなければ参拝する事も無かったとおもいます。
そう思うと御縁があったのかと思いました。
八日市のほぼ街中にあります。
小さいですが、とても歴史のある神社です。
市神神社、1500有余年の歴史をもつ 誉高い神社さんです。
☺️先々代、先代、現在の宮司さんがほんとに、素晴らしいりっぱな方です。
☺️
街中のやや狭隘な感じの神社。
訪れたときは別の神社に行っているという書き置きがあり、ご朱印はいただけませんでした。
きれい。
夏の昼間、写真を撮るためにしばらくいれます。
主様がお優しい方で、職場の子どもたちがどんぐり拾いを楽しませて頂きました♪いつもありがとうございます♪
近江鉄道八日市駅、待ち時間により、訪問可能。
街中ですが静かな神社です。
(18/04/19)御朱印をいただきました。
御祭神 事代主命(ことしろぬしのみこと):えびす様近江七福神の恵比寿です。
近江鉄道:八日市駅より350m。
「君待つと 吾が恋ひ居れば 我が屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く」額田王由緒『市神ノ本紀』によれば、推古天皇元年、聖徳太子四天王寺を造営し給うふ時、同郡白鹿山の東の麓において、幾千万の瓦を造らせ難波津に運ばせたまふ。
然るに太子、かの山に渡らせられ、新たに瓦屋寺を営し、且つ浮川の北に民家数百戸を置き、事代主命の神像を刻し、一祀檀に納め、同九年始めて市店を開き、士農工商の別なく交易する事を教へ給ふ。
『其の後正暦の頃、阿倍晴明白鹿山に詣で、此の神像を拝し、太子の遺志を継ぎ、市店鎮護の祈りを奉り』云々とあり、境内にりっぱな聖徳太子像がある。
また万葉集最高の女流歌人・額田王立像をおまつりするのでその銘碑がある。
さらに、昭和六十年四月二十九日には、万葉と風土の研究の第一人者・大阪大学名誉教授・犬養孝博士の筆にになる額田王の歌碑が建った。
(18/04/19)御朱印をいただきました。
御祭神事代主命(ことしろぬしのみこと):えびす様近江七福神の恵比寿です。
近江鉄道:八日市駅より350m。
「君待つと 吾が恋ひ居れば 我が屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く」額田王由緒『市神ノ本紀』によれば、推古天皇元年、聖徳太子四天王寺を造営し給うふ時、同郡白鹿山の東の麓において、幾千万の瓦を造らせ難波津に運ばせたまふ。
然るに太子、かの山に渡らせられ、新たに瓦屋寺を営し、且つ浮川の北に民家数百戸を置き、事代主命の神像を刻し、一祀檀に納め、同九年始めて市店を開き、士農工商の別なく交易する事を教へ給ふ。
『其の後正暦の頃、阿倍晴明白鹿山に詣で、此の神像を拝し、太子の遺志を継ぎ、市店鎮護の祈りを奉り』云々とあり、境内にりっぱな聖徳太子像がある。
また万葉集最高の女流歌人・額田王立像をおまつりするのでその銘碑がある。
さらに、昭和六十年四月二十九日には、万葉と風土の研究の第一人者・大阪大学名誉教授・犬養孝博士の筆にになる額田王の歌碑が建った。
隠れた良いところです。
近江鉄道八日市駅より徒歩10分程で、周辺は閑静な住宅街です。
名前 |
市神神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0748-22-0819 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
本殿の額田王の立像を拝観させていただきました。