歴史感じる垂井一里塚。
垂井一里塚の特徴
垂井一里塚は中山道沿いにある、貴重な二箇所の史跡の一つです。
戦国武将の旗が鎮座する場所で、感動的な規模の陣跡と石碑が残っています。
散策中には、七草粥や豚汁の無料振る舞いも楽しめるイベントが開催されます。
跡地を見ることはあったが残っているものははじめてみたためこんなにデカいのかと感動した。
駐車場等は近場にないように見えたので、垂井駅近辺から中山道を少し歩きつつ来てみると面白いかもしれません。
2022年5月3日に垂井町史跡探訪の際に寄りました。
現地へはレンタサイクルを利用したのですが、車だと駐車場がないので不便かと南側の1基が現存されています。
国の史跡に指定された一里塚は、中山道では東京都板橋区志村とこちらのみで貴重な遺跡とのこと隣には、かつての茶所の建造物が残り、当時の面影が残っていました。
また現地の説明板には、こちらは関ヶ原の戦いで東軍についた浅野幸長の陣があったそうです。
今回の探訪で吉川広家陣跡、池田輝政陣跡にも寄ることで当時をイメージすることができました。
昔は巨木がそびえ立ち威厳のある場所みたいでしたが、今では陣跡と一里塚の石碑、そして【日守の茶所】のみが残る場所になってしまいました。
しかし遠巻きに見る限り何処かしら当時の地形が残っているので、道筋も含めて何処となく懐かしい気持ちにさせてくれる地形だと感じます。
樹木は寿命もあるのでどうしても仕方のない事なので、その分悲しく歯痒い気もしますが、生きているっていう事は寿命があるって言う事なんですよね。
残った幾つもの切株から、また再度芽が息吹く事を願います。
昔は旅人が行き交う、憩いの場所ともなっていた場所となっています。
関ケ原の合戦より、東軍【浅野幸長(あさの ゆきなが)】が布陣した場所にもなっています。
垂井一里塚(たるい いちりづか)中山道沿いにある史跡。
徳川家康が1604年に江戸日本橋をスタートとして、1里(約4キロ)ごとに頂上に木を植えた塚を、道の両側に設置した。
1対になっている一里塚だが、南側だけがほぼ完全な形(9メートル四方、高さ3メートル)で残っている、当時のままの貴重な史跡。
当時植えられた榎(エノキ)の木はない。
松と山桜の切り株が残っている。
駐車場は無し。
当時植えられた木(ムクノキ、樹齢400年以上)が残っている一里塚は三重県亀山市の東海道沿いにある野村一里塚です。
興味がある方は見に行ってみてください。
日本中、二箇所しか残っていない史跡がここにあるかと思うと何とも言えない気持ちになりました写真は上手く写りましたが、実際は管理する人がいないようで草が生えていて、旗もボロボロでした。
駐車場もなく、知らないと通り過ぎてしまいます。
管理してくださる方がいれば尚良いかと思いました。
平塚因幡守為広1万2千石。
南宮山と関ヶ原の間に位置しており、関ヶ原合戦の戦場の広大さを、改めて感じました。
西国巡礼の途中に通りました。
垂井の一里塚は、中山道の中で国の史跡に指定された2か所のうちの1つです。
道路際にあり昔の旅人の休憩所だったようです。
今当時のまま残っているのはここ入れて2ヶ所しかないそうです。
中仙道の風情が残っています。
側のラーメン屋のハオハオが美味しいです。
今日は一里塚同好会による七草粥と豚汁の無料振る舞いがされていました。
大変美味しくいただきました♡
中山道で国の史蹟に登録されているのは、板橋の志村一里塚とここだけである。
南塚だけが残るが、人の手が入って無いのが良い。
又、東側には、明治時代に関ヶ原山中(やまなか)から移設されたお茶所があります。
名前 |
垂井一里塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.9 |
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戦国武将の旗と共に鎮座しており、カッコイイですね。