特に里見義弘ファンにはたまりません。
夏に行って失敗だった。
遺構は土橋、堀、土塁など。
(石垣)またいくかも!
佐貫城は、室町時代後期から明治時代初頭まで城主が替わりながら存続した城である。
佐貫城の築造年代については諸説があるが、真里谷武田氏が十六世紀初頭に築いたと言われ、武田信嗣が永正四年(一五〇七)に鶴峯八幡神社を再興していることが、その根拠の一つとされている。
その後、天文年間(一五三二~一五五五)には、武田氏との争いに勝った里見氏の居城となり、永禄十年(一五六七)の三舟山合戦では、 里見義弘がこの城を本拠地として北条軍に勝利した。
次いでその子梅王丸が居城したが、徳川家康の関東入部に伴って、里見氏は安房一国の支配に後退 。
天正十八年(一五九〇)に徳川家臣の内藤家長が城 主となった。
家長は二万石を与えられて佐貫藩の下地を作ったが、関 ケ原合戦の直前に戦死、次いでその子政長が元和八年(一六二二)まで在城した。
内藤氏の後は、松平忠重 (桜井松平氏)が寛永十年(一六三三)まで、寛永十六年(一六三九)から松平勝隆・重治(能見松平氏)と続き、貞享元年(一六八四)に重治は所領を没収された。
元禄三年(一六九〇)から元禄七年(一六九四)まで柳沢吉保がこの地方を治め、 その後十六年間ほどは幕府代官・旗本による統治となった。
宝永七年(一七一〇)、阿部正鎮(一万六千石)が入封し、以後九代正恒まで百六十年にわたって阿部氏が城主となっていたが、明治四年(一八七一)の廃藩置県によって廃城となった。
【現地案内板より抜粋】戦国期から明治時代まで続いた歴史ある城跡。
それぞれの時代の遺構が残り、石垣もあり、空堀からの土橋のセットも見事です。
下草刈りもしっかりとされており、城下町の雰囲気も含めて、のんびりと散策を楽しめます。
☆観光マップに載っていない城跡!?☆本当にこの房総半島には、忘れられ埋もれてしまいそうな名所がたくさん在りますね! この“佐貫城🏯”もその一ヶ所。
場所的には富津市の山の手、細いクネクネ道の山村にあって、うっかりすれば通り過ぎてしまいそうな……💦です。
一応駐車場らしき広場は在りますが、砂利敷きの荒れ地に近いですね。
さてこの“佐貫城”何代にも城主が変わり、明治時代の廃藩置県により廃城となった、二万石前後のお城🏯だったそうですが…。
ふもとからの経路はあまり手入れされておりませんが、立て札をたどって登って行くと、順に痕跡が確かにわかりますね。そして、この山城🏯の意外な規模の大きさに驚くことでしょう! 本丸の先、てっぺんには展望台らしき(櫓の跡!?)所が在り、☆遠く“東京湾観音”が見えました☆歴史と由緒の遺構は大事にしたいものです。
*帰りぎわ、よく見ると経路のあちらこちらに、猪の掘り返しの跡が💦💦💦さらにふもとでは、藪の中から3羽のキジが💦💦💦
土の城ながら幕末まで続いた近世城郭らしく、大手には立派な石積みもあります。
城内も案内標柱が充実していて歩きやすいです♪
城跡や歴史には疎いので、遺構の状態の良さ等は分かりませんが、新緑にお日様の光が映える良い山道であることは確かです。
とは言っても、往復で30分と掛かりませんが…もう初夏なので大分草が繁っていて、ヤブ蚊も多く、遺構をゆっくり見る余裕はなさそうです。
けれど、立派な楓があったり、展望台には大きな桜の木が立っていたりと、いずれの季節に訪れても豊かな自然が歓びをもって迎えてくれそうです。
歴史的観点からご興味のある方は冬にゆっくりご覧になった方が良さそうです。
城の痕跡が良い状態で残っています。
本丸や土橋などの名称板や順路を記載した道標もあります。
定期的に整備もされているようで、散策もしやすかったです。
展望台からは東京湾や東京湾観音、富士山も見えました。
お城が存在していた時も富士山を眺めていたのでしょうか。
駐車場あり、佐貫町駅から徒歩20分。
南側の大手口に駐車場があります。
駅からもそれほど離れてないのでアクセスしやすいです。
千葉県の城では珍しく石垣が積まれています。
土塁、空堀、土橋など遺構がよく残っています。
ただ整備が行き届いてない印象。
訪れるなら雑草が枯れている冬がお勧めです。
小さめな城なので30分もあれば見てまわれます。
本丸北側の堀切は必見。
里見氏と後北条氏が争奪戦を繰り広げた激戦の城で、特に里見義弘ファンにはたまりません。
廃藩置県から150年ほどほどに放置され、順路は程よく手入れされており、特に切岸と呼ばれる崖や本丸前の堀は圧巻でした。
グルリと1周するだけなら30分とかかりません。
アクセスは駅から徒歩で行きましたがほぼ一直線で、20分程度で到着しました。
難点を言えば入り口が少々分かりづらいかもしれません。
突如、道脇に看板が現れます。
あとはスズメバチには注意しましょう。
8月末に伺ったら途中何度か威嚇飛行されました。
蚊も大量でなかなか一ヶ所には留まれません。
こちらに限らず、山城はどこも一緒ですが(^_^;)
南側道沿いの登城口脇に無料駐車場あり。
私が登った時にはすでに初夏だったが、比較的手入れされていて登りやすかった。
大手口だけでなく他でも石垣の痕跡が確認でき、また里見の城らしい切岸、大規模な虎口、美しい空壕と主郭に通じる土橋など見どころ多い。
主郭からさらに進むと江戸湾を臨むことのできる物見があり、要衝の地だったことがわかる。
また水が豊かで、籠城にも適していたことから、中世から江戸に至る使用歴の長さも首肯し得る。
案内板あるが、城郭までは草が生い茂っていたので入れず!残念。
場所が少しわかりにくい。
駐車場あり、トイレなし。
嵐があったのにも掛からず 整備されるとされていること。
たまたま行った時に台風の倒木を片付けている方がいて解説と案内までしてくれました。
倒木の下から八幡さまの柱の跡らしき物が出たという事で、まだ詳しく調査してみないと解らないですがなかなかすごい物を見れたと思います。
里見氏ゆかりの城跡なので興味ある方は行ってみると良いです。
小規模ながら堀切や空堀など、土造りのお城の要素がギュッと詰まった城跡です♪
●曲輪、堀切、土橋、門跡などの中世城郭の遺構が、さほど広くはない範囲で見られる●通路は舗装なしだが、荒れておらず歩きやすい。
見どころには案内板や標木あり●展望台が2か所ある。
観光用に作ったものではなく、当時からのものらしい●展望台からはアクアブリッジが見えて景色がよい●大手口に広い無料駐車場があり、車での訪城が便利。
あまり大きな城跡ではないが、遺構は良く残っている。
夏草や つわものどもが 夢の跡。
大好きな城跡ですが、もう少し整備されるといいなと思います。
里見氏が一時本城としたところで、久留里城や稲村城ほど知名度はありませんが、非常に重要な拠点でした。
後北条方に占領されたのちは、久留里城包囲の主要地ともなり、一時、足利義氏が御所を構えました。
名前 |
佐貫城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
周辺のオススメ
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城跡南側の大手口の西側に駐車場が有ります。
すでに城域と思われ、土塁、石積みのある大手門跡を通って登って行きます。
左手に三の丸跡があり、東側の立派な土塁が切れた箇所から東進し、二の丸方面へ向かいます。
二の丸は虎口がしっかり残り、かなり広い曲輪です。
本丸に向かう周囲は草刈されてました。
本丸との間が見所で、空堀は深く幅広で土橋がかかり、本丸の土塁は高低差がありました。
本丸の北西、北東側は切り立った崖で見張り台のようでした。
見通しはそれ程でした。
本丸東側へ降りると南北方向に切通があり、本丸南面は広く曲輪が存在しています。
北面の曲輪に行くと檻が有り、罠にかかった猪を初めて見ました。
暫くすると猟友会の方が来て、ヘッドショットされてました。
お話を伺うと、早く処置しないと檻から脱走して人を襲うことも有るらしいです。
東のほうの曲輪は岩肌が露出するような急な崖が見られました。
帰りに三の丸跡の上部に向かうと、こちらも細尾根というか崖になっていました。
比高こそ高くないですが、急な崖を多く利用する、房総らしい城跡だと思いました。