斎王の宮殿と斎宮寮(さいくうりょう)という役所のあ...
伊勢神宮に仕える斎王(いつきのひめみこ)が住まう斎宮の跡。
大宰府と並ぶ大官司であった斎宮寮(令外の官)が司った。
斎王は亀卜により未婚の皇女より選ばれ野宮での潔斎を経て大極殿にて天皇から別れのお櫛と「都のかたにおもむきたもうな」の言葉を賜り、天皇の譲位または崩御等まで神宮に仕えた。
斎王は神宮の他は伊勢と同様皇大神を祀る山城一宮賀茂神社(現在賀茂祭別名葵祭では斎王代が都度選ばれる)にのみ置かれ、伊勢の場合、崇神天皇の御代、神鏡の神威を恐れて皇女豊鋤入姫を御杖代 として神鏡を奉持させたことに起こるが、南北朝の動乱により祥子内親王を最期に絶えた。
なお神宮では大宮司とは別に祭主を置き戦後は旧皇族の女子を充てる習わしであるが現在は明仁上皇第一皇女勲一等黒田清子氏である。
今回、ミジュマルのスタンプラリーではじめて訪れました。
斎宮の歴史を触りですが知る事ができました。
もっと盛り上がっても良いと感じました。
ロマンを求めて☝️また行きます。
コスモスが満開との連絡を貰い早々出掛けてみました。
見学者は、二組ほどで寂しいくらいです。
肝心のコスモス畑ですが、あっちこっちに点在しており一面にと言う訳には、いきませんでした。
斎宮の10分の1に縮小した模型がみられます 天気のよい日なら付近の散策が楽しめます。
斎宮は「いつきのみや」とも呼ばれ、斎王の宮殿と斎宮寮(さいくうりょう)という役所のあったところです。
斎王は、天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、天皇の代替りごとに皇族女性の中から選ばれて、都から伊勢に派遣されました。
古くは、伊勢神宮起源伝承で知られる倭姫命(やまとひめのみこと)など伝承的な斎王もいますが、その実態はよくわかっていません。
制度上最初の斎王は、天武天皇(西暦670年頃)の娘・大来皇女(おおくのこうじょ)で、制度が廃絶する後醍醐天皇の南北時代(1330年頃)まで約660年間続き、その間記録には60人余りの斎王の名が残されています。
以上のように平安京から斎王を迎え入れ伊勢神宮の斎王が関わる祭事の際、伊勢に赴けるように住まわれた跡地です。
飛鳥時代から南北朝時代まで続いたとされる「斎王」の住居跡時の天皇の命により未婚の皇族女性より選ばれ神宮(伊勢神宮の正式名)にご奉仕する 直接神宮への出向きはなかったらしい 京の都より斎宮まで従者をしたがえ郡行した 毎年6月第1土曜 日曜に「斎王まつり」が行われきらびやかな衣装の斎王を中心に55名の郡行が繰り広げられる近くには斎宮歴史博物館やいつきのみや歴史体験館 当時を復元した建物群がある 一度斎王の歴史を学ばれてはいかがでしょう。
博物館や復元された建築物や宮のミニチュアなど周辺施設も整い歴史にふれる素晴らしい場所です惜しむらくは目の前の駅が各停しかとまらない無人駅であることかもう少し人が来やすいよう整えて広報を行えば経済価値の高い観光資源となれるポテンシャルはあるように思います。
広大な史跡を散歩しつつ、柱跡やミニチュアの建物群を見て往時を想像する愉しい時間が過ごせました❤️
想像をはるかに超える広い遺跡だ。
まだ、発掘過程とのこと。
広い敷地に復元された建物あり、解説ビデオあります。
駐車場が広くてゆっくり散策できました。
2020年現状ですが、コロナの影響もあり、芝生公園🎄などピクニックや、軽いスポーツなど出来、広々としています。
斎宮史跡が広い公園として整備されていて、綺麗で静かな散歩コースとして、最適です。
色とりどりの草花も楽しめます。
この時期は、コスモスが綺麗にたくさん咲いています。
公園だけでなく、様々な体験ができる館や、歴史博物館もあります。
斎王とは、皇大神宮の御杖代(みつえしろ)として伊勢に参向され大御前にお仕えされた皇女。
この斎宮で厳重な潔斎生活を続けられ、親しく大御前に参入されて太玉串(ふとたまぐし)をささげられた。
鎌倉時代後期、国内の兵乱のために斎王制度も中絶されてしまった。
斎王の森、松林のなかに北白川元神宮祭主御筆の「斎王宮阯」の石碑が建ち、その昔が懐しく偲ばれる。
斎宮歴史博物館では、斎王宮跡からの出土品を展示し、斎王の生活や祭祀などを紹介している。
伊勢神宮崇敬会より。
名前 |
斎宮跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0564-27-7211 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
なぜか雰囲気が平城京跡に似ています。
規模感が全然違うものの。
皇族にとっての伊勢神宮の重要性が、斎宮の存在でもわかりますが、ここに来ると尚更実感できます。