鵜茅葺不合命など三神をまつる。
令和5年4月16日(日)に初参拝をさせて頂きました。
ちょうど目の前にある田んぼの田植えを行ってる農家の人に挨拶し、これもご縁だなと思いました。
無事に参拝し、辺りを見渡すと新緑がとっても鮮やかで曇り空から太陽のお光が差して縁起な空間に気分良く帰宅しました。
また参拝したいです。
12月31日新年祈願の為お宮を開けます。
なおこの日に新年限定御朱印を置く予定なのでぜひ睦沢町岩井鵜羽神社にお越しください!
睦沢町指定無形民俗文化財鵜羽神社「十日祭」 及び供器鵜羽神社は、鵜茅葺不合命など三神をまつる。
鵜茅葺不合命が一宮町の玉前神社の祭神の玉依姫命と結ばれるために2 基の神輿が渡御し、 祭礼が10日に行なわれるので 「十日祭」という。
「十日祭」 で神輿は一宮町の八雲神社まで渡御し、 このとき供器に牛の舌にかたどられた餅などが供えられる。
これに先立つ9月8日には御漱祭が行なわれ、 乳の代わりに 鵜茅葺不合命を育てたと伝えられる甘酒 が参拝者にふるまわれる。
【現地案内板より抜粋】睦沢町には、諏訪神社と鵜羽神社の案内柱が沢山あります。
隣接する一宮町の玉前神社とも関わりがあり、趣あるお社です。
遠くから見た時に鳥居が2つ続けて建っているのを見て行ってみました。
約1200年前の大同2年(807年)に始まったと伝わる一宮町の無形文化財・上総十二社祭り(上総はだか祭)に参加する1社。
鵜羽神社では上総十二社祭りが行われる9月13日に先んじて9月10日に十日祭(お迎え祭)が行われます。
御祭神は鵜茅葺不合命・彦火火出見命・豊玉姫命創建は大同元年(806年)長生郡郷土誌によれば、太東釣ヶ崎の沖に、光を発するものあり。
里人怪しみて之を恐る。
日を経て渚に至る。
一夜ひそかに行いて、之を見れば光耀赫々たる八顆玉なり。
拾ふて里屋に納む。
其の夜、玉棈夢に告げて曰く、余は玉依姫の霊なり。
速に天聽に達すべしと、のち直に京師に到り、百川右大臣に依りて、之を奏す。
天皇、令を上総介に下し六社を建立し、八顆の珠を納む。
六社とは、玉前神社、鵜羽神社、宮原神社、二ノ宮神社、三ノ宮神社、若宮神社是れなりと。
と伝わります。
境内は静かな雰囲気、駐車場は鳥居の右側にあります。
お詣りした日:令和4年10月30日駐車場:ありません。
でも鳥居のそばにちょっとスペースがあります。
御朱印:書置きがありました。
賽銭箱に500円を入れてくださいと記述されています。
私は、500円を入れいただきました。
1枚づつビニールの封筒に入っているので綺麗です。
上総十二社祭では、重要な神社との事です。
今回、お詣りしてから勉強しました。
上総十二社祭は、9/13に始まりますが、まずこの鵜羽神社で9/10に祭りが始まります。
鵜羽神社から神輿が一宮の玉前神社に向かいます。
以下、玉前神社のwebを転載---------------------------------九月十日 鵜羽神社(うばじんじゃ)お迎え祭鵜羽神社のご例祭の後、二基のお神輿(みこし)を玉前神社をお迎えします。
この※1ご神幸(じんこう)は神代(かみよ)より伝わる龍神臨幸(りゅうぐうりんこう)の儀式といわれる古儀です。
(現在は三年に一度となっています) ご本殿に鵜羽神社のお神輿を入れて玉前神社の神様との御霊(みたま)合わせの儀式が行われます。
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ひっそりとある神社。
山間の田んぼに突如出現。
気になり参拝のどかな風景が心落ち着けてくれます。
ひなびた神社ながら神話時代にあたる弥生時代~古墳時代の神格化された豪族所縁の聖地。
神社としては、とても雰囲気良い田舎の大きめの神社。
当地の神格化された豪族の神様の神話と神事から、“縁結び” “夫婦円満” “健康祈願”に御利益が強そうだ。
関係深い上総国一之宮で延喜式内社に列する玉前神社の御祭神である玉依姫の夫神である土着神の鵜茅葺不合(うかやぶきあわず)神を主祭神としてお祀りする場所。
又、鵜茅葺不合神の両親である豊玉姫命、彦火火出見命の御神霊も祀られている。
この事から鵜羽神社は延喜式内社ではないが式外社に当たる事が判る。
どうも十日祭(とおかまち)神事を見るに、鵜茅葺不合神の出生地で古代豪族の本拠地がこの辺りだったのだろう。
倭建命東征(神話上西暦109年)より以前の周辺地形は平野部の大部分が海か、まだ海底が隆起や土砂堆積で湿地帯に変わったばかりの頃で、狩猟採集で丘陵に住んでいた時代から開墾が稲作に移行し平地に集落が下りて来た時代に当たる。
まだまだ上総と下総と安房の国が再編される前に一つだった頃は、この丘陵地帯しか人が多くなかったのだろう。
また御神名の鵜茅葺不合(うかやぶきあわず)は恐らく当て字で、本来の意味としては以下の漢字の意味に名前は成るのだろう。
うかやぶきあわず宇賀矢吹安房津神。
宇賀神は豊穣の神であり湧水の水神であり農業神の意味。
矢吹は伊吹戸の神の伊吹等と同じ矢の様に早く吹く風を神格化した神の意味で、外房の海の航海に関係深い海風を象徴する神号なのかも知れない。
安房津はそのまま安房の津(つu003dみなと)の水神の意味。
古代は常陸国~房総半島は一つの国で素戔嗚尊が開いた須賀国だった。
それが証拠に関東最古の大社格と伝わる下総国の鷲宮神社は諏訪神族27名の入植者による開墾から集落化し次第に村落に成り豪族の基盤が築かれた神話が伝わり、神話通り境内から弥生時代~古墳時代の遺跡が出土している。
房総半島の各地域に30名前後の入植者が移住し、周辺と合わせて村落とし統治単位が設けられていたのだろう。
須賀が宇佐(うさu003d房/総)国と常陸国に再編され、さらに宇佐国が安房と上総下総に再編された状況が神話から判る。
つまり、古代は安房地域まで治めて房総半島の水軍を率いた神格化された人物の神号なのかも知れない。
この漢字の当て字で再解釈をすると当時の地勢や神話と整合性も高い。
余談だが富津岬が古代には布津と書いて倭建命の妃神様の弟橘媛様の遺品の衣類が流れ着いたからと神話が由来だそうだ。
神武天皇東征の神剣に比喩される布都御魂と言うのは普通に漢字の意味で解釈をすると、富津~君津地域を治めた神族u003d豪族と解釈すると鵜茅葺不合神は熊野信仰と関係深い物部氏か紀氏と関係がある土着神なんではなかろうか?外房には熊野信仰と関係深い地名が多数現存する。
無論、上記は小生個人の推論でしかありませんが、この鵜羽神社が玉前神社と対を為す縁結びのパワースポット聖地なのは神事からも証明される事実です♪
不思議な空間に入り込んだ感覚になりました。
眼下に広がる田んぼが稲穂を垂れる時期が見頃だと思います。
石段はいい感じにくたびれており、境内は苔に覆われているので違う時間が流れているようです。
湧水っぽいのがあまり綺麗に見えませんが蛇口のは飲めるんですかね?
迷いましたが空きスペーズに駐車しました。
当神社の『十日祭』は睦沢町無形民俗文化財に指定されています。
【長生郡郷土誌より】岩井區字宮前にあり、村社にして彦火々出見命、豊玉姫命、鸕鷀草葺不合尊の三神を合祀す。
傳云ふ平城天皇の大同元年八月太東岬の麓、釣ヶ崎の沖に於て、夜々光輝を放つものあり、後海濱に漂着す、漁夫怪みながら到り見れば、光輝耀々たる八顆の玉なり、輙ち拾ふて之を家に納む。
其の夜漁夫の夢に、玉精告げて曰く、吾は玉依姫の靈なり、汝速に上奏すべしと、漁夫驚いて之を京都に報ず、右大臣藤原百川爲に天廳に達す。
時の天皇亦靈夢に感じ給ひ、直に上総國司に命じ、六社を建立して、八個の玉を納めしむ。
六社とは即ち一宮の玉前神社、下之郷の若宮神社、宮原の南宮神社、岩井の鵜羽神社、二宮の二宮神社、北山田の三宮神社是なりと。
後玉前、鵜羽二神社より分璽して、太東岬の西方椎木、中原の二村に各玉崎神社を創建せりといふ。
一説に此の神社神武天皇の湯婆を祀ると、俗に玉前神の乳母を祀れると爲し、乳母神様と稱え、年々九月十日の祭日に當り、各戸甘酒を造りて、神前に供ふ。
此の日本社の大宮、若宮の二神輿、一宮玉前神社に参し、祭典を擧げ、次で釣ヶ崎に渡御するを例とせり。
御祭神: 鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト) 彦火火出見命(父/山幸彦)と、豊玉姫命(母/玉前神社祭神=玉依姫の姉) 古くは「鵜羽山大明神」と称した。
『鵜羽大明神縁起』によれば、日本武尊が東征の折、この地でその軍が湧水で渇をしのいだとし、これ以後、岩井と呼ばれるようになったという。
大同元年(806)豊田庄の海辺で一顆の玉を得られ玉依姫の神霊として都に上申した。
そのころ平城帝の夢に釣ヶ岬(玉の浦)の天孫降臨の故地に神霊を鎮め奉るようにとの神託があったので、帝は神霊二座を玉崎の社に、ここ岩井の郷にも二座を祭り鵜羽山と呼んだという。
口碑によれば、元は、「古宮」と称される当社の南隣の谷にあったという。
名前 |
鵜羽神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0475-44-0290 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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田舎の懐かしさと侘しさを兼ね備えた神社。
御朱印も書き置きですがあります。