歴史を振り返ると、少し悲しくなります。
江戸末期の上級武家屋敷一見の価値あり裏の神社の太鼓門も見逃さないでね。
きれいに保存されており、当時の姿を思い巡らす事ができます。
近くに陣屋門も移築されています。
名張城跡(三重県指定史跡藤堂家邸跡)名張城だった頃の遺構は見当たりませんが、江戸時代に名張陣屋として存在した名張藤堂家の屋敷があります。
近世武家の住居は貴重なもので、名張藤堂家から市に寄贈され平成4年に保存修理事業が完了し一般公開されています。
【歴史】天正13年(1585年)松倉勝重が築城。
慶長13年(1608年)伊勢伊賀二国を与えられた藤堂高虎が津城主となると名張城には城代を置きました。
寛永12年(1635年)藤堂高虎の養子で伊予今治城主だった藤堂高吉が名張城内に居館を構えて名張藤堂家の初代となりますが、名張藤堂家は大名としての待遇を得られず居館は名張陣屋と呼ばれました。
藤堂高吉の以来11代続いて明治維新を迎えました。
【アクセス】周辺に無料駐車場があります。
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二本松の丹羽氏の分家的な家‼️何回か見学❗伊賀城代の朱鎧がある‼️
お庭の黄葉がすばらしい。
藩の上級家臣の邸宅の一部が残っており、「名張陣屋」と紹介してる書籍もあります。
丹羽長秀公の三男で、豊臣秀長公、藤堂高虎公の養子になった藤堂高吉公が名張藤堂家初代です。
甲冑・刀・掛軸・調度品も少しですが展示されていて、私は名張人の誇りの一つではないかと思いました。
名張の殿様の住まい。
純和風の住宅、庭園昔をしのぶ建築物、当方の好みである。
以前から知ってたけど入ったのは今回が初めて 説明してくれる人がいて良かったです❗
歴史を振り返ると、少し悲しくなります。
戦災で焼けず昭和45年まで、実際に住んでいたそうです。
とてもなばりなはなしを、とても くわしくおしえてもらつて 興味深かつたです!!!伊賀、名張、忍者に興味があるかたは、マストシーなばしよかと!!珍しい おりつくばい(だったかな?)も はいつてみれて感激(o♡ ♡o) (おねがいすると 庭園用のサンダルを出してもらえました)お茶につうじてるかたも 必須かと!!!
歴史の授業では、習わない、ドラマがあります。
現存する邸跡は全盛期の20分の1しか残っていないという時点で如何に規模の大きいお屋敷であったかがわかる。
こじんまりとしたお屋敷ではあるが質の良いかつ貴重な展示品があり圧倒される。
資料や説明パネルもわかりやすく、何より係員さんの懇切丁寧な解説を聞くとさらにあれこれわかり理解が深まる。
藤堂家の本家ではないが、歴史を別の側面から見直すことができる貴重な遺構である。
是非係員さんの説明を聞くがよかろう。
歴史好き、建造物好きな方は訪問して楽しめる事に異論はあるまい。
名張の歴史が分かり良かった。
私一人で時間もあったので、受付の方が家系図や展示物の説明をして下さいました。
パンフレットに載ってる朱鎧兜は展示されてません。
ガイドの方が丁寧に解説してくださいました。
駅からも近いし、ぜひ。
名張藤堂家初代藩主藤堂高吉。
藤堂高虎の後取りでしたが、悲運にもなれず、名張藤堂家として城下町を繁栄させ、本家を凌ぐ由緒ある名家です。
名前 |
名張藤堂家邸跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0595-63-0451 |
住所 |
|
営業時間 |
[火水金土日] 9:00~17:00 [月木] 定休日 |
関連サイト |
http://www.city.nabari.lg.jp/s061/020/000/050/201502051899.html |
評価 |
3.8 |
藤堂藩の支藩として立藩。
元々は本家を継ぐはずだったけど、養子の身だから…本家からも目をつけられていたとかで屋敷の一部が現存しています。
少し高台にあることからもともとはお城だったことが分かります。