あまりにも手入れが悪くもっと整備して貰いたいですね...
成田山御本尊上陸の地 / / / .
成田山発祥の地!京都から船でこの地まで来たのですか‼️将門さんは最強だったのでしょうね‼️‼️
鳥居と石碑、像があります。
お賽銭箱とか社務所のようなものはありません。
防波堤防建設工事中で、浜辺に出るには迂回が必要です。
新皇を名のる平将門 寛朝大僧正は朝廷の命で平将門の反乱を鎮める為関東に下向し祈祷をした🙏🙏 その時の上陸の地がここである🙏🙏 祈祷21日目に不動明王の霊力にて反乱を鎮めた。
霊験あらたかな不動明王はこの地へ留まりあの有名な成田山新勝寺の本尊として今も多くの信仰を集めている👍
落ち着く場所です。
ドライブの寄り道に是非とも。
作田川河口から南は太東、北は刑部岬に向かってサイクリングします。
ここは何時も静かで、一休みに寄ります。
不動さまのところまで上がると広々とした景色で元気が出ます。
ツーリングの途中に立ち寄りました。
何気に歴史的なところなんですね。
天慶2(939)年、平将門の乱を鎮めるため寛朝大僧正が不動明王像を奉持し、難波津から東国を目指し出帆しました。
そしてここ尾垂ヶ浜に上陸した後、下総国公津ヶ原(現成田市並木町)に護摩壇を築き調伏祈願したところ、翌年に乱が鎮まり、この時の不動明王像が現在の成田山新勝寺御本尊です。
当地は横芝光町の史跡に指定されています。
鳥居脇に駐車スペースあり、トイレもありました。
海岸を臨んでお不動様がいるだけですが、5Mくらいありそうな立派な大きさで、ちょっと見に来る分には、悪くないと思います。
ただ駐車場がある訳ではないので、鳥居の前のスペースに2~3台停める感じです。
成田山のお不動様が上陸した場所なのですが、あまりにも手入れが悪くもっと整備して貰いたいですね。
平安時代中期の皇族で、桓武天皇の孫(または曾孫)である高望王は臣籍降下して平高望を名乗った。
上総介に任官した平高望は息子の国香、良兼、良将等を伴って上総国に下向し、武射郡を本拠とした。
この平高望(お屋形さま)の本拠地であったことが横芝光町屋形の地名の由来とされる。
その後、国香は常陸国筑波山西麓の真壁郡東石田を本拠地とし、良兼は父に次いで当地を本拠地として上総介を勤めて上総下総に勢力を拡大。
やがて、甥であり聟でもある下総国豊田郡を拠点とした良将の子である平将門と争った。
従って、平将門の調伏祈願するために当地に上陸するのは、必然があったと言う訳ですね。
何気に、大きな歴史の舞台なんです。
成田山の賑わいとは対照的に静かです。
石碑があり、都から不動明王が尾垂浜に上陸し成田山にまつられるようになった。
石碑があり、都から不動明王が尾垂浜に上陸し成田山にまつられるようになった。
名前 |
成田山御本尊上陸の地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
成田山新勝寺をお参りに行き、その足で海まで来たら、偶然に巡り会いました!こんなご縁もあるんだなぁと、ご参拝させて頂きました!海を見たかったですが、海岸までは、歩くと遠く、この奥は車では、この時期入れないみたいです…