幽霊が出ると騒動になったらしい。
京都競馬場の駐車場を広げようと碑を動かそうと工事を始めたら、幽霊が出ると騒動になったらしい。
鳥羽伏見の戦いの激戦地の一つ、八番楳木の激戦地址です。
かつて堤上には松並木があり、三十石舟歌にも「淀の上手の千両の松は売らず買わずの見て千両」と歌われたようにこの辺りは千両松とも呼ばれました。
伏見街道を後退してきた旧幕府軍を追う新政府軍を喰い止めようと佐川官兵衛率いる別撰組、土方歳三率いる新撰組がここに布陣、東西両軍に夥しい死傷者を出したそうです。
競馬場の拡張工事の際に事故が多発、関係者の夢枕に血まみれの新撰組隊士が現れ、「戻せ…戻せ…」と言うので現場を掘り返してみると土中から埋骨地の碑が出てきたので元の位置に戻して盛大に慰霊祭をしたらパタッと止んだそうです。
競馬関係者による碑も建てられ、馬主協会の会長なども務めた競馬界の重鎮、中村勝五郎氏による撰文が刻まれています。
東軍兵を弔う石碑。
道は広いので路駐できますし、ゆっくりしたいなら近くにコインパーキングがあります。
新選組六番隊長井上源三郎公をはじめ多くの死傷者を出した戊辰戦争鳥羽伏見の戦いの激戦地です。
J⚡︎d♉︎歳〜
「大政奉還150年幕末維新を歩こう」千両松激戦跡六番組新選組の井上源三郎が戦死して居る、「源さん」の愛称で親しまれ、局長・近藤とは故郷の話に華を咲かせ、『鬼の副長』・土方ですら彼の前では心の防御を解いていたと言われる。
伏見方面の旧幕府軍は淀千両松に布陣して新政府軍を迎撃した。
一進一退の乱戦の末に旧幕府軍は敗退し、鳥羽方面の旧幕府軍も富ノ森を失う。
そこで現職の老中でもあった稲葉正邦の淀藩を頼って、淀城に入り戦況の立て直しをはかろうとした。
しかし淀藩は朝廷及び官軍と戦う意思がなく、4日朝までとは異なり城門を閉じ旧幕府軍の入城を拒んだ(ただし、藩主である正邦は当時江戸に滞在しており、藩主抜きでの決定であった)。
入城を拒絶された旧幕府軍は、男山・橋本方面へ撤退し、旧幕府軍の負傷者・戦死者は長円寺へ運ばれた。
また、この戦闘で新選組隊士の3分の1が戦死した。
「大政奉還150年幕末維新を歩こう」千両松激戦跡六番組新選組の井上源三郎が戦死して居る、「源さん」の愛称で親しまれ、局長・近藤とは故郷の話に華を咲かせ、『鬼の副長』・土方ですら彼の前では心の防御を解いていたと言われる。
伏見方面の旧幕府軍は淀千両松に布陣して新政府軍を迎撃した。
一進一退の乱戦の末に旧幕府軍は敗退し、鳥羽方面の旧幕府軍も富ノ森を失う。
そこで現職の老中でもあった稲葉正邦の淀藩を頼って、淀城に入り戦況の立て直しをはかろうとした。
しかし淀藩は朝廷及び官軍と戦う意思がなく、4日朝までとは異なり城門を閉じ旧幕府軍の入城を拒んだ(ただし、藩主である正邦は当時江戸に滞在しており、藩主抜きでの決定であった)。
入城を拒絶された旧幕府軍は、男山・橋本方面へ撤退し、旧幕府軍の負傷者・戦死者は長円寺へ運ばれた。
また、この戦闘で新選組隊士の3分の1が戦死した。
京都競馬場の駐車場横にあります。
(京阪電車車窓からも見えます) 当時の風景の名残はありませんが、淀城からも近いですし一緒に巡りたい場所です。
名前 |
戊辰戦争淀千両松の戦いの碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.7 |
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新撰組、井上源三郎氏の亡くなられた場所らしいです。
ポツンとあります。